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戦国人物解説

豊臣秀吉(とよとみ-ひでよし)とは 朝鮮出兵を敢行してしまう「英雄」

目次

序文プロフィール詳細文禄・慶長の役とは豊臣秀吉 解説

相関図参考文献関連記事

序文

やがてわたしはわたしの功績をいちばんよくわかってくれるのは大衆であるという結論に達した。「富に至る道」ベンジャミン・フランクリン

プロフィール

豊臣秀吉
Hideyoshi Toyotomi

尾張国(愛知県)の貧しい身の上から、織田信長に仕え歴戦、天下人となる。

それまでの検地を全国規模にまで広げた太閤検地や、身分秩序を目的とした刀狩など、近世の先駆となる政策は注目に値する。

しかし豊臣政権は果てしない戦争体制によってのみ維持することができ、日本の大軍勢文禄の役二〇万および慶長の役一五万朝鮮に渡り、日本軍と朝鮮・明連合軍との大戦争となった。

享年62(1537-1598)。同い年は足利義昭景轍玄蘇権慄

信長より3つ年下、徳川家康より6つ年上。

詳細

文禄・慶長の役とは

朝鮮全土_文禄の役緒戦
図1:文禄の役 日本軍進路

豊臣秀吉秀吉または戦国時代、もっと言えば日本史を語るのに絶対に避けては通れないのが、文禄・慶長の役という名の大戦争あるいはジェノサイドです。

この戦争の目的は明国の制圧で、その為の通過点として日本軍は秀吉の命で朝鮮に侵攻しました。

この戦争によって朝鮮全土は戦火に巻き込まれ、飢餓地獄となりました。

また、日本兵の手柄の証拠に朝鮮の一般民衆まで耳と鼻を切られ、戦後も南原城付近には鼻のない男女が多くいたと言います。

日本では、この時に切り取られた耳と鼻は京都市東山区の豊国廟の前にある耳塚に埋められ今も残っています。 日本に連行された捕虜は学者の姜沆を含め二万から三万ともいわれ、そのうちの約五分の一しか母国に帰ることができませんでした。

朝鮮に援軍を送った明国は文禄慶長の役の後に滅亡。秀吉ではなく、同じ周辺民族の女真族・ヌルハチが明国を制圧しました。

豊臣秀吉 解説

豊臣家系図
図2:豊臣家系図

貧しい身の上から、織田信長織田信長に仕えて歴戦し、ついには天下人になった秀吉。

秀吉はいくさにおいて、血を見るのが嫌いで、兵糧攻めを得意としました。また真夏のいくさには敵、見方に関係なく日照りよけに傘を配る人情に厚い人でした。

しかし天下人になってからは――別の言い方をすれば側近の豊臣秀長千利休千利休を失ってから(形而上において)転落していきます。二回に渡る朝鮮出兵は乱心ではなく、本気で世界征服を企んでいたと思われます。上記の通り朝鮮は非常に深刻な被害を受け、日本も多くの犠牲者を出しました。

そして息子豊臣秀頼豊臣秀頼だけを心配しながら六二歳の生涯を閉じました。辞世の句は「露と落ち露と消えにし我が身かな なにわの事も夢のまた夢」。天下人とは思えない心情を綴っています。

ところで韓国の大河ドラマ『不滅の李舜臣』の秀吉役の役者さんは、見た目も秀吉に似せて熱演しています。韓国の人から見る秀吉像を是非チェックしてみてください。

豊臣秀吉 相関図

一門

正室:北政所北政所/側室:淀殿淀殿・息子:豊臣秀頼豊臣秀頼  

養子:豊臣秀次豊臣秀次小早川秀秋小早川秀秋宇喜多秀家宇喜多秀家

親戚(北政所の甥):木下勝俊

前期ブレーン

弟:豊臣秀長豊臣秀長・茶人:千利休千利休黒田官兵衛黒田官兵衛竹中半兵衛竹中半兵衛

後期ブレーン

西笑承兌西笑承兌

家臣

五大老:徳川家康徳川家康前田利家前田利家毛利輝元毛利輝元宇喜多秀家宇喜多秀家上杉景勝上杉景勝  

三中老:堀尾吉晴 /五奉行:浅野長政浅野長政石田三成石田三成

子飼い衆:加藤清正加藤清正福島正則福島正則加藤嘉明加藤嘉明

文治派:大谷吉継大谷吉継小西行長小西行長

朝廷

後陽成天皇

朝鮮国

宣祖金誠一(秀吉と対面)/秀吉最大のライバル:李舜臣李舜臣

明国

万暦帝沈惟敬(秀吉と対面)

  

参考文献

関連記事

豊臣秀吉

秀吉家臣団刀狩/素材:肖像五三桐紋・軍旗/イラスト:リアルほっこり