目次
群雄割拠
信長上洛
豊臣政権
- 天正後期(1586-1591):九州平定、北条氏滅亡、秀長・千利休死去
- 文禄の役 (1592-1596):朝鮮・明連合軍VS日本軍、秀次自害
- 慶長の役 (1597-1598):朝鮮・明連合軍VS日本軍
徳川幕府
- 慶長(1596-1614):▲安土桃山時代(慶長八)▲:畿内大地震、秀吉死去、関ヶ原、大坂の陣
- 元和(1615-1623): 家康死去、第二回朝鮮通信使来日、家光征夷大将軍
MEMO:安土桃山時代とは
秀吉は晩年に伏見城を築いて住みましたが、のちその城跡に桃の木が植えられたので、この地を桃山と呼ぶようになりました。そこで信長・秀吉の時代をそれぞれの居城の地名にちなみ、安土・桃山時代とも呼び、この時代の文化を安土・桃山文化といいます。
- 佐藤信・五味文彦・高埜利彦・鳥海靖『詳説日本史研究』(山川出版社、2017年)「第六章 幕藩体制の確立 1織豊政権」236-237頁