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戦国武将解説

柴田勝家(しばた-かついえ)賤ヶ岳の最期まで織田への忠誠を貫く猛将

目次

プロフィール詳細相関図関連記事参考文献

プロフィール

柴田勝家
Katsuie Shibata

尾張(愛知県)出身。越前北ノ庄(福井県)の戦国大名。

織田家の顔とも言える猛将。通称・権六。

信長の妹であるお市の方と夫婦になり、お市の方の連れ子である三姉妹の淀殿お初お江の義理の父親となる。

槍働きだけでなく、北ノ庄の新田開発、道路の開墾など民政にも力を入れた。信長死後、賤ヶ岳で秀吉と対決するが――

享年62?(1522?-1583)同世代は武田信玄千利休

詳細

織田家の猛将は民政家

「権六」の通称でも親しまれている柴田勝家柴田勝家は、織田家の顔とも言える猛将。

しかし勝家ははじめ、織田信長織田信長の弟である織田信行に属して信長と敵対していました。その後、信長に赦(ゆる)されて信長の家臣となりました。勝家は信長の下で愚直に働き、浅井長政浅井長政朝倉義景朝倉義景との戦いや北陸の一向一揆の戦い等で活躍。

のちに信長から越前の支配を任され、北ノ庄(福井県)に移りました。しかし府中三人衆と言われる前田利家前田利家佐々成政佐々成政・不破光治が目付として配置され、相互監視の体制がとられました。

勝家は新田開発につとめ、検知を施行し、北国街道から柳ケ瀬(滋賀県)に通じる道路の開墾を行うなど、民生にも力を入れました。また一揆に加わった門徒農民から没収した武器を農具に打ち直し、また福井県に流れる九頭意川の船橋をつなぐ鎖にしたようで、これは豊臣秀吉豊臣秀吉刀狩令の先駆という評価も受けています。

愚直な男の一本気

信長が明智光秀明智光秀に討たれた本能寺の変のあと、勝家は越後の上杉景勝上杉景勝と対峙しました。そんな勝家と対象的に、機知に富む秀吉は毛利氏(小早川隆景小早川隆景)と対峙していたにも関わらず、急ぎ京に向かって駆け出し、あっという間に光秀を倒してしまいました。

その後の信長の後継者を決める清州会議では、秀吉に主導権を奪われて、ここでも勝家は大きく水をあけられてしまいました。

然しながら、信長の三男・信孝(のぶたか)の勧めで、浅井長政の未亡人となっていたお市の方お市の方が勝家に嫁いできました。

お市の方は信長の妹で、浅井長政との間にできた三姉妹、淀殿(茶々)素材淀殿(茶々)・ お初(常高院)素材お初・ お江(小督、江与)素材お江も連れて来ました。こんな気の強そうな女子四人に囲まれたら却って大変そうな気もしましが、勝家の北ノ庄城が華やかになったのでした。しかし幸せは長くは続きませんでした。

ついに勝家は対立していた秀吉と賤ヶ岳(しずがたけ)で戦うことになりました。武運拙く、秀吉に敗れた勝家は家族が待つ北ノ庄城に逃れました。勝家とお市の方は、まだ将来のある三姉妹を城の外に出し、秀吉方へ送り届けました。

城の天守閣に火にかけた勝家は、お市の方とともに命を絶ちました。

柴田勝家 相関図

織田家

主君:織田信長織田信長/同僚の老臣:佐久間信盛丹羽長秀丹羽長秀

越前支配

 

府中三人衆:前田利家前田利家佐々成政佐々成政・不破光治

ライバル:上杉景勝上杉景勝

家族

奥さん:お市の方お市の方/義理の娘:淀殿(茶々)素材淀殿(茶々)お初(常高院)素材お初お江(小督、江与)素材お江

賤ヶ岳の戦い

味方:織田信孝滝川一益/ライバル:豊臣秀吉豊臣秀吉池田恒興

  

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柴田勝家

素材:肖像雁金紋軍旗/イラスト:渋い荒い豆まき衝撃

参考文献

国史大辞典編集委員会 編集 『国史大辞典〈第7巻〉 』(吉川弘文館1990年 )