慶長(けいちょう):後陽成・後水尾天皇朝、将軍不在→徳川家康・秀忠将軍
朝鮮再出兵、秀吉死去、関ヶ原、大坂の陣
慶長元 10月改元(1596)丙申[7]
慶長2(1597)丁酉
慶長3(1598)戊戌
- 3月15日:醍醐の花見(秀吉が醍醐寺三宝院で観桜の宴を催す。)
- 8月18日:秀吉死去
- 10月25日:家康ら五大老及び三成ら五奉行、朝鮮の日本軍に帰国を指示。
- 同月:泗川の戦い(明軍VS島津義弘)
- 11月:順天の戦い(明劉綖・陳璘並び朝鮮権慄・李舜臣VS小西行長)
- 同月15日:露梁海戦(李舜臣・陳璘VS島津義弘ら)
慶長4(1599)己亥[3]
慶長5(1600)庚子
慶長6(1601)辛丑[11]
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慶長7(1602)壬寅
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慶長8(1603)癸卯
- 2月12日:家康、征夷大将軍に任じられる。
慶長9(1604)甲辰[8]
- 物故者:3月 黒田官兵衛。
慶長10(1605)乙巳
慶長11(1606)丙午
- 3月:江戸城修築開始。
慶長12(1607)丁未[4]
慶長13(1608)戊申
- 物故者:宣祖。
慶長14(1609)己酉
- 5月:己酉(きゆう)約条締結。
慶長15(1610)庚戌[2]
慶長16(1611)辛亥
慶長17(1612)壬子[10]
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慶長18(1613)癸丑
慶長19(1614)甲寅
- 11月:大坂冬の陣
元和元(7)(1615)乙卯[6]
戦国時代 年表
弘治-永禄-元亀(1555-72)
慶長(1596-1614)/ 元和(1615-23)