目次
プロフィール

幼名・卯松(うのまつ)、通称・喜平次、初名・顕景(あきかげ)。
謙信の養子は、景勝と北条家から人質としてやって来た美男子・景虎だったが、謙信は家督を決めないまま死去。景虎と家督をめぐって争うことになった。
乱平定後は信長軍団の攻撃を受けるが、本能寺の変により窮地を脱する。
文禄の役では熊川(ウンチョン)に出陣。その後、国替えを命じられ越後春日山から会津に移封。
関ヶ原の戦いでは与(くみ)した石田三成方が敗北。景勝の新たな戦いがここから始まる――
詳細
1.御達の乱

景勝は、越後(新潟県)坂戸城主・長尾政景と
上杉謙信の姉・仙桃院(せんとういん)の子として弘治元年(1555)越後上田に生まれました。
永禄七年(1564)上杉軍団の副将格だった父政景が死去。景勝一〇歳は叔父謙信の養子となり、春日山城に移り住みました。謙信は幼い景勝を可愛がり、自筆の手習い本として「伊呂波尽(いろはづくし)手本」「消息手本」を書き与えたとされます。
永禄一二年(1569)年の上杉・北条の越相同盟により、謙信は人質として送られてきた北条氏康七男の氏秀を不憫(ふびん)に思って養子にしました。更に自分の昔の名前を氏秀に与え上杉景虎と名乗らせ、景勝の妹を娶(めと)らせました。
天正六年(1578)三月に謙信が上杉の家督を決めないまま死去。家督をめぐって景勝二四歳と景虎二六歳による御達(おたて)の乱が勃発。景勝の先制攻撃が功を奏し、景勝が春日山城を占拠し、景虎は府内の御館(おたて)に逃れました。
一方、上杉の諸将の多くは、景虎の兄・北条氏政や姉婿の
武田勝頼が助勢すると思われたので景虎を支持。しかし勝頼が景勝と和睦して、勝頼の妹(菊姫)が景勝に嫁ぎました。その後は景勝が徐々に軍事的優勢となり、景虎は小田原へ脱出を試みましたが失敗して妻と共に自害しました。
2.織田軍団との戦い
遡ること天正四年(1576)謙信は、打倒信長を掲げる石山本願寺及びその麾下の加賀一向一揆と結んで、能登に侵攻。翌年九月に能登七尾城を落とし、加賀に進駐した織田軍と加賀の湊川(手取川)で戦い撃破。
しかし同六年(1578)三月に謙信が死去。信長は謙信死去の風説を同月中に入手。一方、同七年(1579)八月加賀の一向一揆は柴田勝家によって滅ぼされ、この報せに本願寺顕如は降伏しました。
天正九年(1581)越中(富山県)佐々成政、北信(長野県)
森長可、上野(群馬県)滝川一益などの攻撃を受けました。国内では信長に内応した下越(新潟県北部)の旧属・新発田重家(しばた-しげいえ)の反乱にあいましたが、翌一〇年、本能寺の変により窮地を脱しました。
3.大谷吉継との検地

天正一四年(1586)景勝三二歳は上洛して豊臣秀吉の臣下となり、秀吉の権力を背景に一五年に新発田重家を滅ぼし、一七年に佐渡に侵攻して版図におさめました。
一八年の小田原合戦(VS北条氏政)には、前田利家と共に武蔵松枝・鉢形・八王子の諸城を攻略。
また刀狩令の兵農分離政策の一環で上杉軍は、出羽奉行で上杉軍を監察する立場の大谷吉継と共に、反豊臣の一揆の解体を進め、出羽の仙北(秋田県横手地方)で一揆方の武器二七九九腰を没収。奥州征伐(VS九戸政実)にも出陣しました。
4.文禄・慶長の役
秀吉が日本の諸将に朝鮮・明への出陣を命じ、文禄元年(1592)四月、日本軍は朝鮮へ侵攻。
小西行長と
黒田長政が平壌城に入った同年六月、景勝三八歳は釜山にほど近い慶尚道南東海岸の熊川(ウンチョン)に出陣し、翌九月に帰陣しました。
慶長二年六月に五大老の小早川隆景が死去すると、景勝が五大老に就任。同三年(1598)三月に会津への国替えを命じられ、
蒲生氏郷旧領など約一二〇万石に移封(いほう)されました。
同年八月、秀吉が死去。徳川家康ら五大老、三成ら五奉行が朝鮮に再出兵した日本軍に帰国せよと指示しました。
5.関ヶ原の戦い
慶長五月(1600)五月、景勝四六歳は石田三成と結び会津に挙兵。最上義光と
伊達政宗と戦いましが、現地・関ヶ原で西軍の石田方が敗北。
上杉家は所領を会津一二〇万石から米沢三〇万石にまで移封・減封となりました。以前と比べかなり、小さくなってしまった上杉氏でしたが、家臣や領民は景勝を慕って離れず、また景勝も家臣・領民を見放さずそのまま召抱えました。
大坂の冬の陣・夏の陣では、徳川方として出陣。夏の陣の八年後・元和九年三月、米沢で死去。享年六九。景勝は無口で、ほとんど何もしゃべらず、笑顔も見せませんでした。しかし家康は、景勝の律儀を愛し登城の際は特別の扱いをしました。
出しゃばらない性格、境遇など、五大老仲間で年齢的にも近い毛利輝元とは似ている点が多いです。
上杉景勝 相関図
上杉氏被官・長尾氏
- 家臣:直江兼続
諸国の武将
織田軍団
豊臣政権
参考文献
- 藤木久志「上杉景勝」『国史大辞典2』(吉川弘文館、1980年)9-10頁
- 平凡社編『日本人名大事典1』(平凡社、1979年)「上杉景勝」405-406頁
- 池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館、2012)
- 小和田哲男監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)「上杉景勝」152頁