北政所一族
北政所(きたのまんどころ):別名ねね。杉原定利の次女。妹のややと共に、織田信長の弓衆の浅野長勝の養女となる。一四歳の時に一一歳年上の秀吉に嫁ぐ。秀吉との間に子はなく、各々家から養子をもらい育てる。享年七七(1548-1624) 。父母
- 杉原定利:元の姓は木下。北政所の実父とされる。
- 朝日殿:杉原家利の子で定利の妻。家定、北政所、やや、くまの母。
兄弟姉妹
- 木下家定:北政所の五歳上の兄。妹(北政所)が木下藤吉郎(秀吉)と結婚したことから、木下を名乗る。木下勝俊、小早川秀秋の実父。備中国(岡山県)足守(あしもり)城主。関ヶ原の戦いでは、北政所の守護の任にあたり、徳川幕府の下で備中国足守の地位を保つ。享年六六
- くま:北政所の姉。
- やや:北政所の妹で北政所と共に、信長の弓衆の浅野長勝の養女となる。浅野長政と結婚。
甥(兄・家定の子)
- 木下勝俊(長嘯子):北政所の兄・木下家定の長男。生母不明。小早川秀秋の一三歳上の兄。若狭小浜城主。のちに異端の近世歌人。
- 木下延俊(のぶとし):木下家定の三男。小早川秀秋とは同母で五歳上の兄。関ヶ原の戦いに功があり、豊後(大分県)日出(ひじ)藩祖となる。享年六六
- 小早川秀秋:木下家定の五男。幼少の頃より秀吉の養子となるが、秀頼が生まれると小早川隆景の養子となる。
叔父
- 杉原家次:北政所の叔父。親戚の縁で秀吉に重用され、福知山城主。甥の浅野長政と共に京都所司代。天正一二年(1584)小牧・長久手の戦いがあった年に死没。
妹婿
一口メモ
秀吉の系図は北政所の親戚筋に当たる杉原、木下系を頭に入れておくと理解しやすいです。というのも、北政所の甥の木下勝俊は近世和歌を語るに外せない人物であり、延俊は日出藩祖、養子に取った小早川秀秋は言わずもがなです。
北政所とは血の繋がりはありませんが、妹婿の浅野長政も豊臣政権を語るうえで外せない存在。身分が低く最初から家臣団を持っていなかった秀吉は、妻・北政所の親戚筋からも積極的に登用していたことが系図から改めて確認できます。
補註
小和田哲男 監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)