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戦国武将解説

豊臣秀吉 家臣団相関図

目次

大将側近軍師正室/側室一門衆五大老

五奉行秀次宿老武功派文治派黒幕

秀吉家臣団の特徴関連記事

大将

豊臣秀吉 家紋五三桐2
豊臣秀吉 豊臣家の家紋
身分の低かった秀吉には家臣がいなかったので、自分でせっせと集めたホームメイド家臣団。 五三桐(ごさんのきり)

側近

秀長・利休が政治顧問を務めた。秀長は大友宗麟に向かって「内々の儀は利休に、公儀の事は秀長に」と語った。この二人の死後、政権は朝鮮出兵に一気に突き進む。

豊臣秀長 千利休
豊臣秀長 千利休
秀吉の異父弟。影の太閤ともささやかれ、人望があり秀吉に匹敵する程のいくさ上手。 秀吉の傍らで茶事を行ったので政治に巻き込まれ、結果的に秀吉の茶人兼側近になる。

軍師

秀吉の軍師である黒田官兵衛と竹中半兵衛を「ニ兵衛」と呼ぶことがある。

黒田官兵衛 竹中半兵衛
黒田官兵衛 竹中半兵衛
信長の時代は、中国方面軍として秀吉の毛利攻めを支えた。文禄の役では本営の肥前名護屋の設計を担当。 斎藤家の家臣時代、横暴な主君の城を17人の兵だけで乗っ取った。その実力を秀吉に買われてスカウトされた。

正室/側室

北政所 淀殿
北政所 淀殿(茶々)
きたのまんどころ。ねねとも言う。秀吉の正室。加藤清正や福島正則らを幼少の頃が育て家臣団を支えた。 秀吉の側室。浅井長政の長女。伯父は信長。秀吉との間に秀頼を出産。豊臣政権を掌握してゆく。

一門衆

養子

豊臣秀次 小早川秀秋
豊臣秀次 小早川秀秋
秀吉の姉の長男。秀吉の子・鶴松の夭逝により、秀吉から関白職を譲られて聚楽第に入る。 金吾とも呼ばれる。北政所の姉の子。秀吉の養子になり、秀頼が生まれると、小早川家の養子となる。

親戚

木下勝俊(長嘯子)
木下勝俊(長嘯子)
若狭小浜城主。小早川秀秋の兄。武将業に興味がないので?豊臣一門だか目立たない。

五大老

政務と軍務、五奉行の顧問が主な仕事。特に力のあった徳川家康・前田利家に加え、毛利輝元・宇喜多秀家・(小早川隆景死後に)上杉景勝の五人が務めた。

徳川家康 前田利家
徳川家康 前田利家
内府(ないふ) 大納言
秀吉の仲良し、利家生存中は、天下を奪うことが叶わず、五大老時代は我慢の10年を送る。 若い頃は槍を振り回すかぶき者で、槍の又佐と呼ばれた。秀吉死後、徳川をけん制できるか!?
毛利輝元 宇喜多秀家
毛利輝元 宇喜多秀家
中納言
毛利元就の孫。叔父の吉川元春と小早川隆景死後は、いとこの毛利秀元と共に時代の難局を乗り越えていく。 父の直家死後、秀吉の養子となる。特技は贅沢。文禄・慶長の役の総帥として朝鮮へ渡海する。
上杉景勝
上杉景勝
中納言
新潟県。伯父は上杉謙信。無口な上に笑わない。小早川隆景死後に五大老に就任した翌年、越後から会津に移封。

五奉行

行政を司る。検地は浅野長政、石田三成、増田長盛が、財政は長束正家、京都奉行は前田玄以が担当した。

浅野長政 石田三成
浅野長政 石田三成
五奉行筆頭。愛称・長吉。文禄の役では渡海しようとする秀吉に対し一喝して中止させた。 幼名は佐吉。文禄の役では朝鮮奉行として渡海。碧蹄館幸州山城第二次晋州城の戦いに加わる。

秀次宿老

関白・豊臣秀次の政治を支え、東海にあって重きをなす。山内一豊・堀尾吉晴・中村一氏・田中吉政ら。

山内一豊 堀尾吉晴
山内一豊 堀尾吉晴
遠江(静岡県)掛川城主。のちに土佐藩祖。 遠江浜松城主。のちに国宝・松江城を築城。

武功派

子飼い衆、尾張衆、譜代衆とも呼ばれる。小さい頃から秀吉に仕え、槍働きを得意とするグループ。関ヶ原の戦いは東軍につく。

子飼い衆

加藤清正 福島正則
加藤清正 福島正則
幼名・虎之助。熊本城を築城。文禄の役で連戦連勝していが、慶長の役蔚山の戦いで危機に陥る。 幼名・市松。猛将として知られるが、文禄の役では兵站の輸送が任務、慶長の役では渡海していない。
加藤嘉明 黒田長政
加藤嘉明 黒田長政
幼名・孫六。賤ヶ岳の七本槍。文禄・慶長の役では水軍将として救国の英雄・李舜臣と死闘を繰り広げる。 10歳で信長の人質となり、その後、秀吉に預けられ近江長浜で育つ。文禄・慶長の役の準主役的存在。

その他

脇坂安治 浅野幸長
脇坂安治 浅野幸長
賤ヶ岳の七本槍。文禄の役@閑山島海戦で一人突っ走った行動に出る。 五奉行筆頭・浅野長政の子。慶長の役@蔚山の戦いで清正と共に危機に陥る。

文治派

近江衆とも呼ばれる。石田三成を中心としたグループで、計理に明るい。大谷吉継、小西行長を初め、片桐且元、増田長盛、長束正家など。関ヶ原の戦いは西軍につく。

大谷吉継 小西行長
大谷吉継 小西行長
文禄の役では朝鮮奉行として、石田三成と共に渡海。清正をけん制しつつ、小西行長の明との和議交渉を支える。 文禄の役の先鋒隊だが、和議を成立させるために、明の外交家・沈惟敬と共に危ない橋を何度も渡る。

黒幕

西笑承兌
西笑承兌
臨済宗相国寺派トップ。日輪の子=秀吉の発明者。文禄・慶長の役 参謀

秀吉家臣団の特徴

身分の低い家柄だった豊臣秀吉豊臣秀吉には、譜代家臣などはいなかった為、自ら優秀な家臣をせっせとスカウトしては、織田信長織田信長のように適材適所の役職に置くことが非常に得意です。

天下平定の半年後、秀吉の弟の豊臣秀長豊臣秀長が病死。秀吉の優秀な参謀だった秀長を失ってから豊臣政権は狂い始めます。秀吉は、明を征服して東アジアに君臨する構想を公然と言いふらすようになりました。秀長派だった千利休素材千利休も死去すると、朝鮮出兵は一気に現実のものとなりました。

さて秀吉家臣団の五大老の職責は、政務と軍務、五奉行の顧問、秀頼の後見人…などと言われていますが、真の狙いは徳川家康徳川家康の力を、前田利家前田利家毛利輝元毛利輝元宇喜多秀家宇喜多秀家上杉景勝上杉景勝の4人で封じ込めよう!というものでした。

事実、朝鮮出兵の戦争の只中、秀吉が死去すると、朝鮮に兵を出さず力を温存していた家康が動き出します――

  

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