家紋の由来
桐紋は、葉の上の花の数になどにより、五三桐、五七桐、十一七桐など様々な種類があります。
秀吉は前述した桐紋の他、独自の太閤桐も使用。当サイトでは五三桐を選んで作製。桐の花の実物は桐_季節の花300さんの写真をご参照ください。
桐紋や菊紋は朝廷の紋。羽柴秀吉は、朝廷から太政大臣の位や豊臣の姓を賜ったように、桐紋と菊紋を賜ったのでした[文献1]。
更に秀吉は、各地の諸将に同族意識を植え付けるために、五三桐は毛利・仙石・脇坂等、五七桐は前田・伊達・山内等に桐紋を与えまくりました[文献2]。ちなみに信長は足利義昭から桐紋を拝領しています。
信長時代の秀吉は、何の紋を使っていたのか。旧姓木下氏のおもだか紋を使用した可能性が高いです。この紋はのちに福島正則が使用したので福島おもだかと呼ばれています。
豊臣氏:とよとみし
織豊時代の武家。秀吉ははじめ木下藤吉郎、天正元年(1573)から羽柴姓。のちに天下統一の進行にともない、平(たいら)姓、同一三年(1585)関白になる際に近衛前久の嫡子となって藤原姓。翌年太政大臣に任官して、豊臣姓を授けられました。
系図
参考文献
- 大野信長(図像考証)「豊臣秀吉 家紋」『図説・戦国武将118-決定版』(学習研究社、2001年)108頁
- 丹羽基二『家紋逸話事典』(立風書房、1995年)
- 小和田哲男「豊臣氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)450-451頁