毛利氏:もうりし

安芸(広島県)の戦国大名、近世の外様大名。本姓は大江氏。室町時代、大内氏に属して勢力を拡大、元就の時に自立しました。
系図
中世
- 大江広元:学問に詳しく、源頼朝に招かれ鎌倉へいく。
- 季光(すえみつ):大江広元四男。相模(神奈川県)毛利荘を領し、毛利氏を称す(初代)。
- 時親(ときちか):季光の孫で、当家二代経光(つねみつ)四男。安芸(広島県)吉田荘へ下向。
元就:弘元次男。大永三年(1523)家督を継ぎ、安芸郡山城主。六か国の守護をつとめる長門国(山口県)の大内義隆に属し、義隆をたおした陶晴賢を厳島に破る。八か国の守護をつとめる出雲国(島根県)の尼子氏を討ち、中国全域を支配する戦国大名となる。享年七五
- 隆元:元就長男。尼子攻めの出陣の途上、急死。享年四一。弟に元春・
隆景および元清・秀包ら。
- 輝元:隆元長男。
信長と交戦中の石山本願寺を支援。
秀吉の朝鮮侵攻は一族が主力となす。中国に九国一一二万石領し、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将。戦後、周防・長門の二国に減封。享年七三
長州藩
- 秀就(ひでなり):輝元長男。長州藩(萩藩、毛利藩、山口藩ともいう)初代(外様)、三七万石。享年五七
- 敬親(たかちか):一一代藩主・斉元(なりもと)長男。天保八年(1837)一三代藩主となる。英国公使館焼打事件(尊攘派の高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文(松下村塾))、四国艦隊下関砲撃事件、禁門の変、第一・第二次薩長戦争など、幕末の藩主。明治四年三月死去。
徳山、長府藩
参考文献
- 小和田哲男「毛利氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)669-673頁