解説
天神信仰と梅
林羅山曰く「菅神(かんじん:菅原道真)は梅を愛し、梅は花の中の儒なり」『菅神賛』
菅原道真を祀る、京都の北野天満宮の神文は梅鉢で、東京都江東区の亀戸天神社は変わり剣梅鉢です。
戦国時代において北野と聞いて思い出されるのは、天正一五年(1587)一〇月一日、北野天満宮社頭の松原における秀吉主催の大茶湯でしょう。秀吉が北野松原を選定した理由は、彼の天神信仰(てんじん しんこう:菅原道真の霊を祀る)と恰好の場所であったと推測されます。
この北野大茶湯において秀吉は自ら、公卿、一族、武将に茶を点じてました。その中には一番に、徳川家康・
織田信雄ら、二番には
秀長・
秀次、
前田利家らが居ました。
家紋として
梅紋の分布は、天神信仰の盛行した地方に当ります。具体的には、菅原の出自と称する者もが多い大和と近江、次いで美濃、越前、加賀、美作などです。
梅鉢と梅花と何が違うのかというと、梅鉢はイラストのように真ん中の丸い芯の周りに「鉢」(ばち)なる装飾が施されています。鉢は太鼓のたたく棒にも見え、梅花と区別する為に梅鉢と言われるようになりました。
利家と利長の当紋は、別名・剣梅鉢(けんうめばち)とも言われています。鉢が特に長く、花弁の間に出ているものは剣梅鉢と呼ばれています。
徳川の時代になると、前田家臣の中ではこの梅鉢紋を暗号のように使っていたと言います。「徳川氏にいつか…」とその機を狙う武功派は剣梅鉢の剣を長くし、学問・文化を通して仲良くという文治派は、梅鉢の剣を短くという印(しるし)に使っていたそうです。
参考文献
ご利用について
前田利家
素材:肖像・加賀梅鉢紋・軍旗/安土FAMILY桃山バンド