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戦国人物解説

織田信長(おだ-のぶなが)何した人?わかりやすく手短に解説

目次

序文プロフィール詳細相関図参考文献関連記事

序文

(タイプライターの)キーはきわめて高速で次々に打たれる…これはまさに銃撃戦の英雄詩ではないか。フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター〈下〉

プロフィール

織田信長
Nobunaga Oda

尾張国(愛知県)出身の戦国大名。幼名は吉法師(きっぽうし)。

27歳の時に桶狭間で今川軍を、42歳の時に長篠で武田軍を倒した。しかし本願寺顕如との戦いは11年にもおよび、本能寺の変2年前まで天下統一を阻まれる。

43歳の時に近江国(滋賀県)安土に5年かけて城を築く。

44歳の時に朝廷から賜った右大臣兼右大将という有難い官位は、半年後にわざわざ返上。

肩書に頼らず実力勝負。人にも厳しく、彼の辞書に「恕」という言はない。

享年49(1534-1582)。細川藤孝と同い年。秀吉より4つ、家康より9つ年上。

詳細

反信長包囲網_勢力図
図:反信長包囲網_勢力図

少数の兵力で今川義元今川義元の軍を倒した桶狭間の戦い、鉄砲を新しく時代に取り入れ武田勝頼武田勝頼に勝利した長篠の戦い、明智光秀明智光秀の謀反により壮絶な最期を遂げる、クライマックスだらけの人・織田信長織田信長

顕如との石山合戦においては、比叡山延暦寺を焼き討ちにしました。寺の建物や宝のほか古文書類が焼失、僧俗、児童、智者、上人一々に首を切り、犠牲者は三〇〇〇人及んだといいます。

伊勢(三重県)長島の一向一揆勢には二度敗れるも平定。長島の者は降伏して船に乗って退去しようとしましたが、男女二万人が焼き殺されました。

越前(福井県)の一向一揆勢も徹底的に攻撃。四方八方へ軍勢を派遣し、山々谷々まで残る所なく捜(さが)し出し首をきり、犠牲者は三万人以上にのぼりました。

このようにして比叡山や一向宗などの宗教的なアジールは、徹底的に解体。すべての宗教的世界の頂点に立つ生き神として自己神格化を行いました。安土城はそのような信長の権力の可視的な表象でした。

石山合戦中に信長は、味方であったはずの荒木村重に裏切られました。その報復として、村重や一族の妻子は六条河原で首を切られ、村重方の有力武士の妻子一二二人は磔、下級武士の妻子ら五一二人は家四つにとじ込めて焼き殺しにしました。

そんな信長は、家臣を身分に関係なく実力で評価。然しながら封建制の枠から出ない革命児は、自分の跡は長男織田信忠信忠引き継がせてしまう血縁信仰。また次男織田信雄信雄や三男信孝などのその後を見ると、豊臣秀吉秀吉を家臣にしたのは織田家にとって非常にマズかったように思います。

京都御所その1
京都御所 2004年撮影

一方で人間信長は、荒れ果てた京を再生すべく禁裏(朝廷の住居)の修復や京の町の整備、治安維持などを側近の村井貞勝村井貞勝に命じました。

諸国に号令をかけるには、朝廷の権力が必要だったにせよ、凋落の一途を辿っていた朝廷(正親町天皇正親町天皇)を、陰ながら支え救っていた一面もある信長でした。

織田信長 相関図

家族と親戚

息子:織田信忠織田信忠織田信雄織田信雄織田信孝/妹:お市の方お市の方

姪(浅井三姉妹):淀殿淀殿(茶々)常高院お初崇源院お江

家臣

老臣:佐久間信盛柴田勝家柴田勝家丹羽長秀丹羽長秀/所司代:村井貞勝村井貞勝

方面軍:前田利家 前田利家豊臣秀吉羽柴秀吉滝川一益佐々成政佐々成政細川藤孝細川藤孝

遊撃軍:池田恒興/水軍:九鬼嘉隆九鬼嘉隆/小姓:森蘭丸蒲生氏郷蒲生氏郷など

信長を裏切った武将

明智光秀明智光秀足利義昭足利義昭浅井長政浅井長政松永久秀荒木村重

ライバル

今川義元今川義元武田信玄武田信玄武田勝頼勝頼上杉謙信上杉謙信本願寺顕如

一蓮托生?

足利義昭足利義昭

  

参考文献

関連記事

織田信長

信長家臣団石山合戦/素材:肖像1肖像2木瓜紋永楽通宝銭軍旗

描き方:うつけバテレン風肖像画/イラスト:リアル久秀とほっこり