プロフィール
文禄元年、日本の諸将が朝鮮へ侵攻し、破竹の勢いで北上。国王の宣祖は首都ソウルから平壌へ避難し、万一に備えて光海君を王の世継ぎと定めた。
このあと分朝の命を下して、宣祖は明との国境に入って明に援軍を要請。光海君18歳は南下して義兵を奮起し、各地で義兵活動が活発化した。
戦後は焼土と化した国土の復興に務める一方、党争が激化。外交では朝鮮国王として明と清、どちらに付くか難しい選択を迫られる――
詳細
1.世子分朝
光海君は宣祖(ソンジョ)の第二子で、母は恭嬪金氏(コンビンキムシ,공빈김씨)。
文禄元年(1592)四月一三日、 豊臣秀吉の命により日本の諸将が朝鮮へ侵攻。
第一軍の小西行長らが釜山(プサン)に上陸すると破竹の勢いで北上。半月余りで首都ソウル(漢城)を制圧しました。
それに先立って四一歳の宣祖は、大雨の中を都・漢城(ソウル)を捨て平壌へ避難。
従う者は宰相・柳成龍などの臣下、王妃、女官など一〇〇人以下。李氏朝鮮王朝建国以来二〇〇年、存立の危機に陥りました。
国王は万一のことを考え、また人心の安定をはかるため、凶暴で人望がない長子・臨海君(イムヘグンソン)ではなく、次子・光海君を王世子(おうせいし・王の世継ぎ)と定めました。
明は、長男を差し置いて次男が世子になることを嫌い、世子冊封を拒否。かくして光海君の世子は、国際的には非公認のものでした。
2.義兵を奮起
行長らの北上は続き、宣祖は平壌を脱出。寧辺(ヨンピョン)へ落ち延びましたが、光海君が宣祖と同じ所にいては、もしものことがあった時に取り返しのつかないことになります。
そこで宣祖は同年六月、分朝の命令を下しました。これにより国王は明との国境・義州(イジュ)に入り、光海君は寧辺にとどまって戦時下の国務を分担することとなりました。
光海君一八歳は寧辺から南下して、同年七月九日、江原道・伊川(イチョン)に到着。ここで光海君は義兵将・金千鎰を通じて檄を飛ばし、義兵は奮起しました。しかし日本第四軍の島津義弘ら江原道侵犯により、同月二八日、伊川を離れて成川(ソンチョン)へ向かうことになりました。
一方、宣祖は明に援軍を要請。翌年一月、李如松が四万の明兵を率いて行長籠る平壌城を攻撃。行長は敗退してソウルへ帰還。かくして光海君は、平安道・定州(ジョンジュ)で国王と合流することとなり、分朝は解消しましたが、その働きは明の将軍に「国の復興は世子(光海君)の双肩に」と言わしめたほど。
実際、王世子・光海君が義兵に奮起を促した影響大きく、咸鏡道を制圧して朝鮮二王子臨海君と順和君(スンファグンジク)を捕らえていた加藤清正は同年二月、義兵抗争に敗れてソウルに帰還したのでした。
3.戦後の復興と王位継承問題
戦後、七年に渡る戦乱の結果、莫大な人命を損失し、国土は荒廃。徳川家康が江戸幕府を開くと朝鮮との外交を積極的に推進しました。
約五千人の捕虜が送還され、対馬藩の宗義智と景轍玄蘇らも朝鮮に働きかけたこともあり、宣祖と光海君は日朝国交回復に努めました。慶長一二年六月、江戸期第一回朝鮮通信使が来日して国交が回復。
一方、宣祖は晩年に継妃金氏(仁穆王后)に永昌大君を得て寵愛し、これを密かに世子(皇太子)にしようとしたと言います。こうして兄・臨海君と弟・永昌大君との間に王位継承問題が勃発。
朝廷の党派は南人が破れ、北人は大小に分かれ、大北は光海君を、小北は永昌大君を支持しました。党争の弊害が大きく、光海君は李元翼らを登用してこれを抑制しようとしました。
しかし反って大北派・鄭仁浩らの策謀にのり、兄・臨海君、仁穆王后の父・金悌男、八歳の弟・永昌大君を謀反の罪で殺害し、仁穆王后を廃位して西宮に幽閉しました。
4.光海君の政治
三四歳で即位した光海君は内政においては、『新増東国輿地勝覧』及び医学書の『東医宝鏡』などの編纂刊行、史庫(朝鮮王朝実録や国家の重要文献が保存されている書庫)の整備、号牌法の実施に努めました。
外交においては、女真族が住む満州には清の太祖・ヌルハチが現れ、朝廷では明と清いずれかにつくかが問題に。光海君は明と女真族に対して中立外交政策をとりましたが、ついには姜弘立を将とする明軍に援軍を送りました。
しかし楊鎬率いる明軍はサルフの戦いに敗れ、姜弘立は清軍に降伏。女真族の支配地域が拡大していく間、光海君は密かに清に通じて、首鼠両端の計をもって保国策としました。
政権から久しくと遠ざかっていた西人は、この機を利用して李貴らによって光海君を廃して仁祖を即位させました。光海君は江華島に追放されて更に済州に移されて没しました。享年六七
映画
韓国映画「王になった男」は、光海君と顔がそっくりなニセモノが「王になって」しまう話。
これだけ聞くと、どうなんだろう?と思いましたが、いい意味で期待を裏切ってくれる作品です。ニセモノの王(イ・ビョンホン)の視点から見る、王宮の奇妙なしきたり、党争に明け暮れる朝廷の人々が新鮮。本映画を通して光海君の苦悩と政治、魅力を堪能してみては如何でしょうか。
光海君 相関図
朝鮮国
王族
- 父:宣祖(第14代国王)
- 母:恭嬪金氏
- 同母兄:臨海君
- 異母弟:順和君、永昌大君ほか
官吏
宿敵
東アジアの国王
参考文献
- 田中孝三「光海君」『アジア歴史事典3 キンーコ(新装復刊)』(平凡社、1985年)
- 伊藤亜人・武田幸男・高崎宗司・大村益夫・吉田光男『新版 韓国 朝鮮を知る事典』(平凡社、2014年)
- 六反田豊 監修「第十五代 光海君 賢君でもあった暴君」『朝鮮王朝がわかる!』(成美堂出版、2013年)96-99頁
- 北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略』(吉川弘文館、1995年)
- 上垣外憲一『文禄・慶長の役-空虚なる御陣』(講談社、2002年)