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豊臣秀吉系図 父母、兄弟、甥、妻子など早わかり

目次

1.豊臣家系図

2.秀吉 親戚筋父母兄弟妻子養子の秀勝

3.一口メモ 参考文献関連記事

豊臣家系図

豊臣家系図

※転載禁止/禁止私自转载、加工/Reproduction is prohibited.

秀吉 親戚筋

豊臣秀吉豊臣秀吉:父は弥右衛門もしく築阿弥。母は大政所。子どもがなかなかできなかったので、養子が多々ある。享年62(1537-1598)。

父母

  • 木下弥右衛門:百姓で、木下姓は秀吉がのちに付けたとされる。ともの父。秀吉の父ともされる。
  • 築阿弥(ちくあみ):なか(大政所)の再婚相手。秀吉、秀長、旭姫の父とされる。
  • 大政所(おおまんどころ):別名なか。二〇歳の時に、秀吉を授かる。木下弥右衛門死亡ののちに築阿弥と再婚。享年77

兄弟

  • とも:大政所と弥右衛門の子。秀吉より四歳上の姉。三好吉房の正室。秀次生母。享年92
  • 豊臣秀長秀長:秀吉より二歳下の同母弟。通称小一郎。秀長死去により文禄・慶長の役本格化。享年52
  • 旭姫(あさひひめ):秀吉より五歳下の同母妹。尾張の地侍佐治日向守に嫁いだのち、秀吉の命で離婚し、徳川家康徳川家康の正室。享年47

甥(姉・ともの子)

  • 豊臣秀次秀次:秀吉の姉・ともと三好吉房の長男。秀吉の養子となり関白となる。享年28
  • 豊臣秀勝:ともの次男。秀次の一つ下の弟。妻は浅井長政三女のお江(小督、江与)素材お江文禄の役に出陣し戦病死。享年24。※秀吉養子の羽柴秀勝(信長四男)とは別人。
  • 豊臣秀保(ひでやす):ともの三男。秀次の一一歳下の弟。秀長の養子。秀長死後は高虎が後見し、紀伊・大和両国を遺領を継ぐが謎の死を遂げる。享年17

妻子

  • 北政所北政所:別名ねね。杉原定利の子。秀吉より11歳下の正室。享年77
  • 淀殿(茶々)素材淀殿:別名茶々。秀吉の側室。浅井長政浅井長政長女。秀吉との子、鶴松、秀頼を生む。
  • 鶴松:秀吉と淀殿の子。僅か(数えで)三歳で死去。翌年文禄の役が始まる。
  • 豊臣秀頼秀頼:別名お拾い。秀吉五七歳と淀殿の子。(数えで)六歳の時に父秀吉死去。享年23

養子の秀勝

  • 羽柴秀勝:織田信長織田信長の四男。長浜城主時代に秀吉が養子に請う。秀吉に従い各地を転戦し、丹波亀山城主となったが、一八歳で病死。※秀次弟の豊臣秀勝とは別人。

  • 大善院:秀長長女。秀吉の養女でもある。文禄四年(1596)四月に一八歳の毛利秀元毛利秀元正室となるが、慶長一四年(1609)に死去。

  • 国松:秀頼の子。大坂の陣で秀頼・淀殿死去後に殺害される。

一口メモ

このたび豊臣家の系図を作製して、秀吉と各武将の関係ががわかっているようで、わかっていなかったことがわかりました。系図を見ての通り、なかなか複雑怪奇です。

まず第一に、秀吉の父が誰だかよくわからない。第二に秀吉は、子供がなかなかできなかったので、いろんなところから養子をもらっているので自ずと系図が複雑に。第三に、秀次の弟秀吉の養子(信長の四男)が共に名が「秀勝」という紛らわしさ!

それにしても秀吉はもとより秀次、小早川秀秋、秀頼など豊臣系の人物は重要人物が多いです。秀吉との関係を整理しておくことで、戦国時代全体の理解も進むでしょう。それでは次項にて、今度は北政所の親戚筋について詳しくみてみましょう。

  

参考文献

小和田 哲男(著, 監修) 『ビジュアル 戦国1000人 ―応仁の乱から大坂城炎上まで乱世のドラマを読む 』(世界文化社、2009年)

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/2019年7月7日 公開