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文禄・慶長の役

朝鮮・明連合軍イラスト相関図

朝鮮軍

豊臣秀吉明国制圧の野望により、朝鮮へ侵攻した日本の大軍勢(文禄の役二〇万慶長の役一五万)に屈せずに立ち向かう。

国王

宣祖
宣祖
ソンジョ
マジか!豊臣秀吉の命で日本の大軍勢が釜山に上陸し、僅か半月で首都ソウルを制圧。国王のザ・グレートエスケープが始まる。

王世子

光海君
光海君
クァンヘクン
戦争の最中、宣祖が万一に備えて光海君を世継ぎと定め分朝の命を下す。宣祖は明の国境まで避難、18歳の光海君は留まって義兵を奮起する。

朝廷

柳成龍 金誠一
柳成龍 金誠一
ユ・ソンリョン キム・ソンイル
領議政(宰相)。李舜臣権慄など名将を登用。明軍の兵糧調達や義兵との連合工作などに奔走し、平壌城を奪回を目指す。 戦争前に通信副使として来日。帰国後、国王に「秀吉の出兵はない」と報告。柳成龍の弁護により招諭使となり義兵活動で活躍する。

陸軍

権慄
権慄
クォン・ユル
朝鮮全軍 最高司令官(都元帥)。幸州山城で朝鮮軍一万を指揮して日本軍三万に完勝。蔚山倭城に籠る加藤清正には明軍との連合で挑む。
金時敏 沙也可
金時敏 沙也可
キム・シミン さやか
慶尚道晋州の市長(牧使)。晋州城が日本の二万の大軍に包囲されと、三千八千の兵を指揮して奮戦。日本ではもくそ判官として有名人物。 降倭領将。朝鮮名・金忠善。清正軍の先鋒将として渡海したが、意義を感じられず投降。朝鮮軍として日本軍に捕らわれた人々を奪回する。

水軍

海岸防衛の為の軍事施設・全羅左水営(南海岸)は李舜臣、慶尚右水営(東海岸)は元均が司令官=水使(正三品)。その下に僉使(従三品)、虞候(正四品)、万戸(従四品)らが続く。

全羅左水営(南海岸)

李舜臣
李舜臣
イ・スンシン
全羅左水使。のちに朝鮮水軍最高司令官(統制使)。卓越した統率力と知略で日本軍に連戦連勝し、朝鮮の危機を救った救国の英雄。
金浣 李純信
金浣 李純信
キム・ワン イ・スンシン
蛇渡僉使。最初の(玉浦)海戦から最後の(露梁)海戦まで李舜臣を支え、この戦争を『龍蛇日禄』に記した。 防踏僉使。李舜臣と名前の発音が同じ赤の他人だが、金浣と同じく最初から最後の戦いまで李舜臣を支えた。
鄭運
鄭運
チョン・ウン
鹿島万戸(マノ)。水軍将として活躍したが釜山浦開戦で戦死。李舜臣は「国家、右臂を失せり」と痛惜した。韓国海軍の潜水艦「鄭運」は彼にちなんで付けられた。

慶尚右水営(東海岸)

元均
元均
ウォン・ギュン
慶尚右水使。李舜臣の水営と連合で日本水軍を連戦撃破。そのあと李舜臣を陥れ、朝鮮水軍最高司令官に就任。李舜臣なしで日本水軍に挑むが…

義兵将

神出鬼没で現れる義兵は日本軍に慢性的なストレスを与え続けた。

郭再祐
郭再祐
クァク・チュウ
名家の子息で、官職には就かずに田園生活を送っていたが、慶尚道の自分の村に日本軍が侵入すると私財を投げ打って朝鮮初の義兵を起こした。
鄭文孚 李廷 香+奄
鄭文孚 李廷 香+奄
チョン・ムンブ イ・ジョンアム
咸鏡道の武官(正六品)。加藤清正が咸鏡道を支配すると義兵を決起。鏡城を落とし、吉州城を包囲。清正・鍋島直茂は咸鏡道から撤退した。 文禄の役直前まで吏曹参議(正三品)。黒田長政が黄海道を支配すると、義兵を決起。長政は拠点の黄海道海州を放棄することになった。

学者

姜沆
姜沆
カン・ハン
慶長の役の際に囚われて日本に抑留された儒学者。和僧・藤原惺窩(せいか)と出逢い、二人の交流の中で日本近世儒学の基礎が作られた。

明軍

朝鮮を救うべく明は援軍を派遣。文禄の役(壬辰倭乱)慶長の役(丁酉再乱)で派遣した指揮官や部隊等が基本的に異なる。

皇帝

万暦帝
万暦帝
ばんれき-てい
10歳で即位。官吏は読書人に成長した皇帝を規範内に納めようとしたので、長期サボタージュで対抗。敵も味方も明に執着し過ぎじゃない?

文禄の役(壬辰倭乱)派遣部隊

李如松 沈惟敬
李如松 沈惟敬
り-じょしょう しん-いけい
提督として四万の兵を率いて小西行長が籠る平壌城を囲み、平壌城を奪還。南下して碧蹄館で小早川隆景立花宗茂ら日本軍に挑むが―― 外交家。小西行長と和議の交渉に奔走し、使節として来日。秀吉に謁見した際、一連の偽装工作が露見し、日本軍再出兵の契機となった。

慶長の役(丁酉再乱)派遣部隊

楊鎬 麻貴
楊鎬 麻貴
よう-こう ま-き
経略朝鮮軍務使。文官の指揮官で黒田長政日本軍ソウル再侵入阻止を指令。加藤清正籠る蔚山倭城は朝鮮軍と共に六万の大軍で包囲した。 提督禦倭総兵官。慶長の役明武官トップ。ソウル放棄計画を企て、上官の楊鎬に咎められる。その後は楊鎬と共に蔚山倭城を包囲、奮戦する。
劉テイ 陳璘
劉綖 陳璘
りゅう-てい ちん-りん
文禄の役から出兵し、慶長の役では禦倭総兵官として小西行長籠る順天倭城を朝鮮軍と共に包囲。しかし日本軍の猛攻に戦意喪失してしまう。 水軍都督。秀吉が死去し日本軍の帰国が始まると、李舜臣と共に追撃。露梁津で島津義弘ら日本軍に挑み、七年に及ぶ戦争の決着をつける。

解説

科挙と文官統制

李氏朝鮮王朝の役人は、文官武官も科挙(官吏登用試験)の合格者です。

朝鮮の科挙は、両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級でなくてもを受験できるので、少数ながらも両班以外の人の立身出世の機会となりました。

また文官統制(シビリアン‐コントロール)の為、武官の権力は最小限に抑えられていたので李舜臣李舜臣のような優秀な武官でも文官に逆らうことはできません。

朝鮮がお手本としたは科挙は勿論、文官統制のお家元です。お家元らしく?日本軍再出兵(慶長の役)の際、文官の楊鎬が武官の提督・麻貴を従えて黒田長政黒田長政加藤清正加藤清正などの日本軍に果敢に挑みました。

文民が軍人の上に立つというは今の平和国家ではあたりまえ体操ですが、明も朝鮮も先端を行き過ぎてる?

このページで取り上げた朝鮮・明軍の面々は、日本では全く馴染みのない人物ですが、韓国では知られた人物ばかりだと思います、たぶん。

豊臣秀吉豊臣秀吉朝鮮侵攻という大惨事に、朝鮮の人々や明の援軍がどのように立ち向かったのか、気になった人物から是非チェックしてみてください。

  

関連トピック

文禄・慶長の役

相関図

朝鮮・明連合軍/文禄の役 日本軍慶長の役 日本軍

概要

文禄・慶長の役とは

地図

東アジア各国関係図朝鮮八道色分け地図文禄の役 日本軍進路

慶長の役 日本軍進路図倭城とは 分布図と一覧合戦地図

年表

文禄の役 略年表慶長の役 略年表

朝鮮国

朝鮮の官制その1 京官その2 外官-陸軍・水軍、地方行政朝鮮王朝の党争

明国

明の官位相当表

日本国

文禄年間 全国の諸大名配置図九州中国・四国近畿東海・北陸東日本

慶長前期 全国の諸大名配置図村上水軍とは 前編後編

戦後

日朝国交回復年表

参考文献

北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略 (日本歴史叢書) 』(吉川弘文館、1995年)

上垣外 憲一『空虚なる出兵―秀吉の文禄・慶長の役 (Fukutake Books) 』(福武書店、1989年)

岸本 美緒 、宮嶋 博史『世界の歴史 (12) 明清と李朝の時代 』(中央公論社、1998年)