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系図

吉川氏系譜 元就次男・元春養子先の先祖と子孫

吉川氏:きっかわし

丸に三引両
丸に三引両

安芸国(広島県西部)の戦国大名。藤原氏南家。守護に隷属しない国衆として発展。

毛利元就次男元春は、母の実家・吉川氏の養子となり家督を継ぎました。乗っ取られてた吉川氏正系は断絶。江戸時代、宗家毛利氏の家老格として周防岩国六万を領し、幕末に至りました。

系譜

中世:正系

  1. 経義(つねよし):藤原武智朝呂(むちまろ)一五代の孫。駿河有度郡(うどぐん)吉香(きつか)郷(静岡市)に住じて吉香氏を称したという。のちに吉川と書かれるようになる。
  1. 経光:経義曾孫。播磨(兵庫県)福井荘東保の地頭。承久の乱の戦功により安芸 山県郡(やまがたぐん)大朝(おおあさ)荘の地頭も兼ね、旧領の駿河含め三国にわたった。享年七六
  2. 経高:経光の子。安芸へ下向。経高が安芸惣領家、兄弟が播磨、岩見(島根県)、駿河と分かれて継ぐ。
  1. 経見(つねはる):経高曾孫。父は岩見吉川氏の経兼(つねかね)。安芸吉川氏の娘と結婚、惣領家を継ぐ。足利義満から安芸大朝本荘・新荘、平田荘の領有を認められ、惣領家の勢力を確立。一説に享年九二
  1. 経基。一〇代・之経(ゆきつね)長男。応仁の乱で東軍の細川勝元に従い功をたて、岩見(島根県)、安芸で領土拡大。播磨(兵庫県)の守護・赤松政則に援軍をおくり、播磨福井荘の地頭職を得る。享年九三。娘は尼子経久の妻となり、孫に尼子晴久。
  2. 国経:経基長男。享年八九。娘の妙玖(みょうきゅう)は毛利元就毛利元就の妻となる。
  3. 元経:国経長男。妻は毛利弘元(元就父)の娘。管領大内義興に属すも、出雲守護代尼子氏方に転じ、毛利氏と尼子氏を結びつけようとつとめた。享年六四
  4. 興経(おきつね):元経長男。天文一六年(1547)元就の次男元春を迎えて隠居するが、同一九年九月元就によって実子とともに殺害され、吉川氏の正系は断絶。享年四三

近世

  1. 元春:元就次男。母方の実家で有力国人・興経の養子となり、天文一九年(1550)吉川氏を継ぎ、安芸日野山城主。永禄九年(1566)富田(とだ)城を攻略して尼子氏滅亡、毛利の領国拡大に寄与。毛利輝元輝元が、豊臣秀吉羽柴秀吉と和睦をすると、潔(いさぎよ)しとせず隠居。天正一四年(1586)一一月九州攻めに参陣し、豊前小倉城(福岡県)内で病没。享年五七。あえて醜女の熊谷信直の娘を妻とした。(1530-86)
  2. 元長:元春長男。安芸日野山城主。享年四〇
  3. 広家:元春三男。兄元長の病死で家督を継ぐ。文禄・慶長の役に従軍。関ヶ原では黒田長政を通じて東軍に内応、周防(山口県)岩国城主となる。三万。享年六五
  1. 経幹(つねまさ):天保一五年(1844)岩国城主吉川家を継ぐ。学校養老館を創設。第一次長州征伐では、宗家毛利家のため両者間を斡旋。慶応二年(1866)の再戦では、毛利家に協力して幕府軍を撃破。同三年三月病死も喪は秘され、同四年に初代岩国藩主(外様)。享年三九
  • 妙玖(みょうきゅう):一二代吉川国経の娘。毛利元就の妻。隆元、元春、小早川隆景の三男と一女(五竜)を生む。享年四七

参考文献

  • 小和田哲男「吉川氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)244-245頁

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