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戦国武将解説

毛利元就(もうり-もとなり)

プロフィール

毛利元就
Motonari Mouri

広島県の戦国大名。幼名は松寿丸(しょうじゅまる)。

弱小だった毛利家は、隣国の尼子経久や大内氏に気を配る日々だったが、徐々に力をつけ、尼子・大内両家を倒し、領土を山陰地方全域にまで広げた。

大内氏の家臣だった陶晴賢との厳島の戦いは、村上水軍を味方につけ、敵の五分の一の兵力で勝利。

享年75(1497-1571)。同世代は斉藤道三。

詳細

毛利元就毛利元就が大河に決定した遠い昔、「誰?もうりもとじゅって?!」と漢字すら読めませんでした。そんな私ですが、元就が、息子三兄弟に、毛利家の為にもお互いに力を合わせるようにと教えた、「三矢の訓」の逸話は知っていました。しかしこの三矢の訓は後世の創作のようです。

もともとは元就の家は小さく、自分の家より遥かに大きな隣国の尼子経久や大内氏に滅ぼされないよう気を配る長くつらい日々が続きました。ですが徐々に力をつけ、尼子、大内両家を倒し、気が付けば山陰地方全て制圧してしまいました。

元就のいくさの数々で代表的なのが、陶晴賢との厳島の戦いです。晴賢は主家の大内氏を滅ぼし、山陰地方の最大勢力を誇っていました。晴賢の軍勢に対して、元就の軍勢はその五分の一程度でしたが、村上水軍を味方につけ、知略をめぐらした元就軍が勝利を治めました。

元就はガツガツしないでさりげなく強いイメージがあります。焦らず長く時間をかけて勝利するのが元就の極意ですかね。享年七五歳の元就は長い時間をかけて、強くなっていきました。そんなに焦らなくても大丈夫という言葉が聞こえてきそうです。

毛利元就 相関図

家族

息子:小早川隆景小早川隆景/孫:毛利輝元毛利輝元毛利秀元毛利秀元

ライバル

尼子経久陶晴賢宇喜多直家

  

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毛利元就

肖像素材一文字三星紋/イラスト:シルバー