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戦国武将解説

織田信長家臣団解説

大将

織田信長 五つ木瓜(織田木瓜)3
織田信長 織田家の家紋
知らないヒトはいないと思われる。実力のある家臣を重用。怒らせたらタダでは済まない。という信長流愛情表現。享年49。 織田木瓜(おだもっこう)

老臣

古くからの信長に仕える重臣。

佐久間信盛 柴田勝家
佐久間信盛 柴田勝家
信長の父・信秀の時代から織田家に仕え、各地を転戦するが信長に本願寺攻め長期化を咎められ、解雇される。享年55。 権六とも呼ばれる。織田家の顔ともいえる猛将。晩年、信長の妹、市と結婚。信長死後、秀吉と合戦し敗れる。没年不明。
丹羽長秀
丹羽長秀
信長だけでなく、秀吉を初め家臣団からの信頼もすこぶる高い。信長死後、秀吉に仕えるが自ら命を絶つ。享年51。

側近

村井貞勝
村井貞勝
信長の側近であり、京都所司代の元祖。足利義昭邸の建設、皇居の修復、織田家と朝廷の連絡、京都の治安維持等を担当した。享年55。

方面軍

五つの方面軍が、各地の諸大名を倒すべく奮闘。近畿は明智光秀、北陸は柴田勝家、関東は滝川一益、中国は羽柴秀吉、四国は織田信孝が方面軍司令官。

明智光秀 細川藤孝
明智光秀 細川藤孝
近畿方面軍(近畿地方の治安維持)
元々は13代将軍・足利義輝の代からの幕臣だったらしいが中途採用で織田家に入る。家臣団で一番早く城持ちとなる実力派。享年54。 光秀の教養高き友人。情に流されていくさに加担したりしない。その冷静な判断力で、したたかに世を渡り歩く。享年77。
柴田勝家 佐々成政
柴田勝家 佐々成政
北陸方面軍(対上杉軍)
まっすぐな性格。信長死後、賤ヶ岳の戦いでは、秀吉を倒すべく、織田信孝、佐々成政、滝川一益と共に戦うが敗れ、非業の死を遂げる。没年不明。 信長死後、秀吉の天下取りを阻止すべく奮闘。家康の力が必要とあらば、家康に会いに、極寒の飛騨山脈まで越えてしまう、熱い男。享年53。
前田利家 羽柴秀吉
前田利家 羽柴秀吉
北陸方面軍(対上杉軍) 中国方面軍(対毛利軍)
人望があり、成政とも秀吉とも親しかった。賤ヶ岳の戦いでは、勝家側についたが、最終的には秀吉側につき、秀吉の天下取りに貢献。享年61。 織田家老臣である丹羽と柴田の苗字を取って、羽柴と名乗った。光秀、一益と同じように実力で、織田家でのし上がっていく。享年61。
滝川一益 織田信孝
滝川一益 織田信孝
関東方面軍(北条氏の交渉) 四国方面軍 (対長宗我部軍)
中途採用で織田家に入り華々しい活躍を見せた。信長死後は山崎の合戦、清州会議にも間に合わなかったが、秀吉と戦う勝家を助けた。享年62 信長の三男。次男の信雄より20日余り先に生まれたのに三男とされ、最期は勝家と組んで秀吉と戦い、享年26という短い生涯をドラマチックに生きる。

小姓

主君の身の回りの世話などをする容姿端麗、頭脳明晰な青年。信長には小姓がたくさんいたが、信長の使者役としても活躍した森蘭丸が有名。

森蘭丸
森蘭丸
織田家の勇猛な武将、森可成の三男。信長の切った爪を数え、足りない時は指摘してくれるという、数々の伝説を持つ。17歳の若さで信長と共に死去。

遊撃軍

織田信雄 池田恒興
織田信雄 池田恒興
信長の次男。信長死後、家康と組んで秀吉の天下取りに待ったをかけたが勝手に秀吉と和睦する。状況に応じて豊臣と徳川を行ったり来たりする。享年73 母が信長の乳母の為、信長とは乳兄弟。信長死後、小牧・長久手(秀吉VS家康・信雄連合軍)の戦いでは秀吉軍につき、戦死。享年49

信忠軍団(信濃・甲斐支配等)

織田信忠
織田信忠
信長の長男で家督。幼名は奇妙丸。岐阜城主。旗本、尾張衆、美濃衆を一手に束ね、信長に代わり織田軍団の総指揮を務めることも度々ある。享年26

外様大名

譜代家臣ではないが、途中から信長に仕えた大名。

荒木村重 九鬼嘉隆
荒木村重 九鬼嘉隆
事情あって信長に謀反。村重の嫡男が光秀の娘だった為、離縁させ光秀の元に送る。説得しに来た黒田官兵衛は幽閉、官兵衛は片足不自由となる。享年52。 水軍として織田家を支える。信長出資で世界初、巨大甲鉄戦艦を六艘も作り、石山合戦で無敵の毛利水軍に大打撃を与えた。関ヶ原合戦も海上で戦う。享年59。
松永久秀 浅井長政
松永久秀 浅井長政
京を乗っ取る為、足利将軍を殺害。次に主家の三好家を乗っ取る為、東大寺でいくさ。三好家を滅ぼし、大仏殿は焼失させた。何でもOK人生。享年68。 信長の妹、市と結婚。のちに浅井家と同盟関係にある朝倉家に、信長が侵攻。長政は朝倉家と共に戦う。激闘の末、信長に敗れて自害した。享年29。

室町将軍

足利義昭
足利義昭
室町幕府第十五代将軍。信長とは利害が一致し、初めは良好な関係だったが、次第に険悪になり、全国の大名に呼びかけ反信長包囲網を作り上げ、信長を追い詰めた。享年61。

織田信長家臣団の特徴

家臣団のエース、方面軍司令官

織田信長織田信長は家臣の実力をよく見抜いて、家臣を適材適所に置くことが非常に上手な武将です。

そんな信長が作った家臣団の特徴はなんと言っても5つの方面軍。方面軍とは、「一定の担当部署を持っている、万単位の兵を抱えた大軍団」です。

その司令官は勿論、家臣団のエース中のエースです。万単位の兵を動かすという、責任と重圧を背負うことができる人物でなければとても務まりません。

信長は、家柄など関係なく実力さえあれば方面軍司令官を初めとする高いポジションに家臣を大抜擢します。家臣もそれを望み、信長の期待に応えようとします。そうして信長の周りには優秀な家臣が集まり、織田軍の強さは彼等に支えられていました。

使えない家臣は追放

しかし結果を出せない家臣もいるわけです。そういう家臣について信長は容赦なく罷免します。

柴田勝家柴田勝家と並ぶ織田家中ナンバー1、2の地位にいた佐久間信盛。信長は、本願寺攻めの司令官だった信盛と嫡男・信栄が何ら功績がないと評価を下し、佐久間父子を高野山に追放してしまいました。

この時ついでに、家老の地位にあった林秀貞(ひでさだ)、美濃三人衆の一人である安藤守就(もりなり)、尾張の国人の丹羽氏勝も追放してしまいました[註1]。

実力を重んじる戦国時代といえど、ここまで実力主義を徹底している武将は信長をおいて他にはいないのでした。

相関図 関連リンク

豊臣秀吉家臣団徳川家康家臣朝鮮・明連合軍文禄の役 日本軍慶長の役 日本軍戦国武将一覧

関連トピック

補註

註1:谷口克広『信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書) 』(中央公論新社、2005年)