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戦国お姫様解説

山内千代(やまうち-ちよ)内助の功。※但しイケメンに限る

目次

プロフィール詳細相関図関連記事DVD

プロフィール

山内千代
Chiyo Yamauchi

土佐国の大名・山内一豊の正室。見性院(けんしょういん)。

千代紙は千代の発明とも言われている。

一豊が織田信長に仕官した頃、一豊が名馬が欲しいといえば名馬を購入。

それが信長の目の留まるところとなって、旦那の出世のキッカケを作った。

しかし大地震で一人娘を喪ってしまう――

享年61(生1557-没1617)。同い年は織田信忠

蒲生氏郷藤堂高虎よりひとつ年下。一豊より10歳年下。

詳細

織田・豊臣・徳川と仕えた山内一豊山内一豊の妻である千代は、一豊の出世に大きく貢献しました。

織田信長織田信長に仕官した頃の一豊は決して裕福ではありませんでした。槍働きを得意とする一豊に対し、千代は文筆や裁縫に秀でて、夫婦で力を合わせて出世の道を模索していきました。

一豊が名馬がほしいと言えば、黄金を出して一豊に名馬を購入させました。その名馬を持つ一豊は、信長をはじめ、皆の目に止まり、一目置かれたという逸話が残ってます。

信長が死去したあと一豊は、豊臣秀吉羽柴秀吉に属し功を立てて、天正元年(1573)近江国(滋賀県)で四〇〇石を与えられました。しかし同一三年・千代二九歳の時、長浜に大地震があり、六歳の一人娘・與禰(よね)姫を亡くしました。

長浜城
長浜城 2003年撮影

悲しみは深く、そのあと城外において捨て子を拾い、これを育てて僧侶とし、のちに京都妙心寺の南北玄興の門に入れました。また一豊と千代の間に與禰以外に子供はできませんでしたが、一豊は生涯側室を置くことはしませんでした。

関ヶ原の戦いで一豊は徳川軍に属し、徳川家康徳川家康が勝利を治めると、一豊は土佐(高知県)一国が与えられました。一豊死後は直ちに出家し、見性院(けんしょういん)と号し、晩年は京都に住んで生涯を終えました。享年六一。お墓は京都妙心寺大通院にあり、大名家としては稀有な夫婦墓で、一豊の墓とほぼ同じ大きさの無縫塔(むほうとう)です。

山内千代 相関図

旦那:山内一豊山内一豊

豊臣秀吉豊臣秀吉にも千代の才覚は高く認められていました。

  

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山内千代

イラスト/素材:一豊肖像軍旗

山内千代のDVD

NHK大河ドラマ 功名が辻 スペシャル DVD-BOXは、千代の夫・一豊が信長、秀吉、家康と仕官先を代えた為、戦国時代を俯瞰できます。勿論、ストーリーも充分楽しめる内容となっております。私はリアルタイムで巧妙が辻、全話見ており、すっかりお千代ちゃんの大ファンになりました。同じ女性として彼女の生き方はストイックでカッコイイと素直に思える作品です。