解説
1.深衣
深衣(シミ,심의)は、士大夫(官吏)が家の中で着た普段着。高麗時代末期に朱子学が伝来して以降、儒学者の間に普及しました。
襟が直領(チョクニョン,직녕)の一重の袍(ポ,포)=外衣(がいい)で、普通は白の地に襟・衽(おくみ)・裾・袖口に黒の縁取りが施されており、帖裏(チョルリク)や鶴氅衣(ハクチャンイ)などに影響を与えました。
一般の袍と異なり、上半身の衣と下半身の裳(サン,상)とを別個に繋げます。一二幅の裳が体をゆったりと深く包み込む印象を与え、深衣の名はここに由来するらしいです。
腰には帯(ティ,띠)を巻きます。また右胸にはオッコルム(リボン)を付けることもあります。
深衣の各部には哲学的な意味があり、衣と裳はそれぞれ乾・坤、裳の一二幅は一年一二カ月を表し、縁取りは両親に対する孝と恭敬の意を表しています。
一般に両班階級では普段着に道袍(トポ)を多用しましたが、儒学者の間では深衣が礼服として愛用されました。
2.幅巾
幅巾(ポッコン,복건/ふっきん)は頭に被る巾(コン)の一。後部は丸みを帯び、耳の上に来る部分の左右二カ所に襞(ひだ/折り目)を入れ、下の襞の中に紐を付けて後ろで結びます。
黒の絹で作り、全体を一幅の布で作るため幅巾と言います。朝鮮時代に深衣などと共に用いました。今日では元旦などの名節(ミョンジョル,명절/祭日)や一歳の誕生日に男児に被られます。
3.太史鞋
太史鞋(テサヘ,태사혜)は縁の低い履物の一。朝鮮時代に両班の男性が普段着に履きました。側面には絹の革を用い、底の周囲を蜜蝋(みつろう)を塗った太い糸で縫い、爪先と、かかとに太史紋(テサムン)という白の縞模様を施しました。
儒学者とは
韓国時代劇ではお馴染みの深衣。ところで儒学とは『論語』『孟子』などの漢文大系で、経書(儒学)の一つ『礼記』深衣編には深衣の制(したてかた)が説かれています。
科挙(官吏登用試験)の試験科目は経書で、文禄・慶長時の宰相・柳成龍はじめ来日の通信使・金誠一及び侍に捕らわれた姜沆なども儒学者。一方、儒学の考え方の違いで派閥を生み、政治にまで影響を及ぼしました。
鶴氅衣
鶴氅衣(ハクチャンイ,학창의)は在野の儒学者が着た袍。こちらのイラスト(李廷馣)参照のこと。
外見上、深衣によく似ていますが、上半身の衣と下半身の裳が別個なのが深衣、分かれていないのが鶴氅衣。また鶴氅衣の丈は深衣より短く、腰には細絛帯(セジョンデ,세조대)という細長い紐を締めます。
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