目次
プロフィール
朝鮮王朝 慶尚道・晋州(チンジュ)市長=牧使(モクサ)。
日本では後世、木曽(もくそ)判官として近松門左衛門の浄瑠璃などで取り上げられ、最もよく知られた朝鮮人物。
文禄元年(1592)四月、日本の諸将が朝鮮へ侵攻。同年十月、細川忠興ら二万の大軍が晋州城を包囲。これに対して城内の兵力、金時敏以下三千八千。
義兵将・郭再祐が義兵を率いて応援に駆け付け、招諭使・金誠一は防備の中心を担う。金時敏は城中の兵を指揮する。
果たして日本軍との死闘六日間の結末は――!?
詳細
1.文禄の役 緒戦
金時敏は1578年(宣祖一一/天正六)二五歳の時に武科に及第。
文禄元年(1592)四月、三九歳の時に豊臣秀吉の明国制圧の野望により日本の諸将が朝鮮へ侵攻しました。
第一軍の小西行長・宗義智が釜山(プサン)に上陸するやいなや破竹の勢いで北上。二〇日余りで首都ソウル・漢城を制圧しました。
このとき金時敏は、慶尚道晋州(チンジュ)判官(パングァン,従五品)でしたが、固城等の戦闘の手柄などにより八月、晋州の市長にあたる晋州牧使(モクサ:正三品)に任命されました。
そのころ郭再祐は、日本軍が自分の村の宜寧(ウィリョン)に迫って来ると、家財を投げ打って朝鮮最初の義兵を起こしました。
しかし反乱軍だと誤解を受けてしまうことに。これを慶尚右道招諭使の金誠一が助け、共に義兵を募ることとなりました。
かくして同年七月九日、郭再祐と金誠一及び官軍・権慄らの朝鮮連合軍が、錦山(クムサン)で全羅道に侵入した小早川隆景ら日本軍を撃退しました。
2.日本の大軍、晋州城を囲む
同年七月一七日、明の大軍が小西行長らが籠る平壌城を包囲。小西行長はこれを撃退しましたが、明の再攻撃を恐れて同年九月一日に明・沈惟敬と交渉し50日間の停戦協定締結しました。
海上戦では、李舜臣率いる朝鮮水軍が日本軍に連戦撃破。次第に追い詰められてゆく日本軍に対して秀吉は晋州城(チンジュソン)を攻撃するように指示しました。
晋州は慶尚南道から全羅道へ通じる要塞の地。
かくして同年一〇月四日、釜山浦近くの金海駐屯の細川忠興・長谷川秀一・木村重茲(しげとも)は、加藤光泰・太田一吉・片桐且元・牧村政玄らと共に二万の大軍で朝鮮の要衝・晋州城を包囲。
これに対して城内には牧使・金時敏以下三千八千余の兵力しかありませんでしたが、郭再祐が義兵を率いて応援に駆け付け、招諭使金誠一は防備の中心を担いました。
また、朝鮮の城は日本の城と違って一般の百姓も居住していましたが、金時敏は城中の老若男女に皆に男服を着せて大勢に見せました。
3.第一次晋州城の戦い
日本軍は兵を四方に散らして民家に放火し、また数千に及ぶ竹梯(たけはしご)や三層の楼台(ろうだい)を作って城壁を超えようとしました。
これに対し金時敏は城内三千八千人を指揮して、城の上から震天雷(しんてんらい)・蒺藜砲(しつれいほう)など火砲を放ち、大石や焼いた鉄を投げ、熱湯をかけたりしました。
戦闘開始から六日目、左頬に弾丸が当たった金時敏が意識不明となりましたが代わりに昆陽(コンヤン)郡守・李光岳(イグアンアク)が勇猛に力戦。午前九時頃になると日本軍は撤退しました。この戦いで朝鮮軍は勝利を収めましたが金時敏戦死。享年三九
半年後には金誠一が心労のあまり病に倒れますが、第一次晋州城の戦いによって勢いをつけた明・朝鮮軍は、年明けに明・李如松が平壌の小西行長を、権慄が幸州山城でソウルの日本軍を大いに撃破。
一方、日本軍の第一次晋州城の戦いの恨みは深く、晋州城は再び攻撃を受け、朝鮮軍は金時敏なしで再び守り抜くことはできず、文禄二年六月二九日に落城しました。
4.もくそ官と歌舞伎
第一次晋州城の戦いについて日本側の記録は、敗戦ゆえかほとんど残っていません。例外的に小瀬甫庵の『太閤記』に記述があります。その中で金時敏を「木曽(もくぞ)判官ちんじゆ(晋州)の城主なり」とあります。
また第一次晋州城の戦いの敗退報告として前野家文書『武功夜話』には「赤国もくそ(木曽)取り固め候城は」とあります。
もくそとは、当時の日本人が朝鮮語の発音で牧使(목사,モクサ)が「もくそ」と聴こえたらしく、表記する際は当て字で「木曽」の漢字が当てられました。また日本でのもくそ官は、朝鮮に二〇もある牧使の中で晋州牧使(チンジュモクサ)金時敏を指す固有名詞となりました。
またもくそ官は、近松門左衛門の浄瑠璃『本朝三国志』、鶴屋南北の歌舞伎『天竺徳兵衛万里入舩』などに登場することとなり、最もよく知られた朝鮮人物となりました。
金時敏 相関図
朝鮮国
日本
参考文献
- 崔官『文禄・慶長の役〔壬辰・丁酉倭乱〕文学に刻まれた戦争』(講談社、1994年)
- 笠谷和比古・ 黒田慶一『秀吉の野望と誤算-文禄・慶長の役と関ケ原合戦』(文英堂、2000年)
- 北島万次『豊臣秀吉 朝鮮侵略関係史料集成』(平凡社、2017年)
- 北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略』(吉川弘文館、1995年)