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文禄・慶長の役

碧蹄館(ピョクジェグアン/へきていかん)の戦い 立花宗茂らソウルの日本軍VS明・李如松軍

目次

文禄の役の流れ基本データ解説:1.経緯 2.先鋒立花隊

3.先鋒二番 小早川隊参考文献関連記事

文禄の役の流れ

文禄元年(1592) 文禄二年(1593)
日本軍北上→ 形勢逆転 日本軍南下 帰国
5月初旬 同左 7月初旬 10月初旬 1月初旬 同下旬 2月中旬 6月下旬 8月
ソウル陥落 玉浦海戦 閑山島海戦 第一次晋州城の戦い 平壌の戦い 碧蹄館の戦い 幸州山城の戦い 第二次晋州城の戦い 一時停戦へ

基本データ

碧蹄館の戦い
年月日 文禄2年(1593)1月27日 午前6時~午後1時頃
場所 京畿道 碧蹄館(ピョクジェグアン,벽제관)。首都ソウル・漢城(ハンソン,한성)から北西18km)付近。
概要 平壌から敗走した小西行長提督李如松軍をソウルに連れて来てしまう!
対戦軍 兵数 日本軍40,000人 明軍30,000人
大将 宇喜多秀家宇喜多秀家8,000人 提督・李如松20,000人
先鋒 一番隊:立花宗茂立花宗茂・高橋直次(宗茂の弟)3,200人 北方系 騎馬軍団:査大受(さたいじゅ)
先鋒後続 二番隊:小早川隆景小早川隆景8,000人 北方系 騎馬軍団:李如松本隊
三番隊:毛利秀包(ひでかね)・筑紫広門5,000人
後詰め 四番隊:吉川広家4,000人 南方系 砲兵軍団:楊元ら
五番隊:黒田長政黒田長政5,000人
六番隊:石田三成石田三成大谷吉継大谷吉継・増田長盛5,000人
七番隊:加藤光泰(みつやす)・前野長康3,000人
結果 ソウル死守 敗走

解説

1.経緯

朝鮮全土_文禄の役緒戦
図1:文禄の役 朝鮮全土関係図
日本軍進路と国王避難路

豊臣秀吉豊臣秀吉明国制圧の野望により、文禄元年(1592)四月一三日、日本の諸将朝鮮へ侵攻

首都ソウル(漢城)陥落し、厳しい戦いを強いられた朝鮮は明に援軍を要請し、明皇帝提督李如松を派遣することを決定。

これにより李如松は四万の明兵を率いて、翌同二年一月八日、小西行長小西行長宗義智宗義智らが籠る平壌城を襲撃して落としました。行長・義智らは首都ソウルに向かって敗走。

この勢いに乗って李如松は、行長・義智らを追うように南下、同月一〇日に開城に到着しました。

領議政柳成龍は一日も早くソウルへ進軍することを要請しましたが、李如松はぐずぐずしていました。

これに対してソウルの日本軍は、石田三成石田三成ら三奉行は籠城戦を主張しましたが、立花宗茂立花宗茂らはソウルに出て迎撃すべしと意見が対立。長期戦となった場合、日本軍の兵糧は不足に陥る危険性があったので軍議は迎撃と決まりました。

また李如松は、今度のいくさは自身の派閥の北方系・騎馬軍団に手柄を立てさせたいと考え、平壌の戦いで手柄を立てた南方系・砲兵軍団を後続として、僅かな手勢でソウルへ進撃しました。

2.先鋒立花隊

碧蹄館の戦い
図2:碧蹄館の戦い

かくして同月二七日、ソウル北西18km地点の碧蹄館(ピョクジェグアン)付近で、李如松率いる明軍三万とソウルの日本軍四万との戦闘が始まりました。

碧蹄館は、明の使節がソウルに訪れる前日に必ず宿泊して長夜の宴を行う所です。

日本軍の先鋒は立花隊。先陣に家老の小野和泉ら七百人、中陣は十時伝右衛門ら五〇〇人、本隊は宗茂と宗茂の弟の高橋直次ら二千人という布陣。

午前六時、十時隊が小野隊より前線に出て明軍先鋒二、三千の陣内に攻め入り、これを明先鋒本隊・査大受(さたいじゅ)七千が左右から襲撃。

十時は戦死、小野隊も崩れそうになった時、先鋒本隊の宗茂・直次兄弟が駆け付け、明軍の側面を突きました。

これにより退却して来た査大受隊たちと出会った李如松は二万の兵を率いて、望客峴(マンゲクヒョン)付近に陣を構えました。

3.先鋒二番 小早川隊突撃

小丸山で激戦の疲労を癒し立花隊に代わって、午前一一時頃、先鋒二番の小早川隆景小早川隆景隊が李如松本隊を突撃。小早川隊先陣の井上五郎兵衛率いる三千が一斉射撃しました。

この時、明軍は、南方系の砲兵軍団が到着しておらず火器がありませんでした。

また李如松本隊の騎馬隊は前日の氷雨のせいで馬の足元もわるく、そうこうしているうちに左右から立花隊と総大将・宇喜多秀家宇喜多秀家隊が攻め込んできました。

李如松は自らも弓を射るなどして奮戦。しかし李如松をかばった配下の李有升は戦死。日本軍は後退した明軍を恵陰嶺まで追撃しました。

宗茂は更に追撃すべしと主張しましたが、小早川隆景は深追いは無用として宗茂の追撃を制止。明軍後方の楊元の部隊は強力な大砲を持っており、反撃の危険性もあり隆景の判断は妥当でした。

明の敗北は朝鮮側に衝撃を与え、柳成龍は再度進軍するよう何度も要請するも、李如松戦意喪失。しかし李如松南下に呼応して都元帥・権慄が朝鮮軍を率いて北上。ソウルの日本軍に再び危機が訪れるのでした――

  

参考文献

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