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戦国武将解説

本多忠勝(ほんだ-ただかつ) 蜻蛉切キラリ、関ヶ原で島津義弘隊を猛攻

目次

プロフィール詳細相関図関連記事

プロフィール

本多忠勝
Tadakatsu Honda

三河国(愛知県)出身。幼名・鍋之助。

上総国(千葉)大喜多城主、関ヶ原のあと伊勢国(三重県)桑名城主。

徳川家康の家臣で、徳川四天王の一人。関ヶ原の戦いでは、東軍のど真ん中を敵中突破し薩摩に帰ろうとする西軍の島津義弘隊を全力で追いかけ、打撃を与えた。

愛用の長い槍は蜻蛉切(とんぼきり)と呼ばれている。

享年63(1548-1610)。

同い年は榊原康政西笑承兌、北政所。徳川家康より5歳年下。

詳細

徳川家康徳川家康の家臣として特に存在感のある武将・本多忠勝本多忠勝は、徳川四天王の一人。イラストにもある鹿の角の兜が有名です。

先祖代々徳川家に仕えてきた家柄に生まれ、五〇回以上の戦場を経験。しかし一度も傷を負ったことのないツワモノです。戦場での働きが高く評価されますが、信長曰く「花も実も兼ね備えた勇士」のようです。

明智光秀明智光秀が信長へ謀反を起こしたとの知らせを聞いた時、家康は三〇数人の家臣を連れて堺を見学している所でした。家康含め、この知らせは徳川四天王の榊原康政榊原康政井伊直政井伊直政など、驚きの余り思考が停止していました。「この少数の兵ではどうしようもならないし、雑兵の手にかかる前にこのまま信長に殉じよう。」と家康は提案しました。

しかし忠勝は冷静な判断をしました。とりあえず三河に戻り、兵を挙げ、光秀の首を取ることが大切だと主張。皆気を取り直して、忠勝の意見に賛同したのでした。

関ヶ原の戦いでは、東軍のど真ん中を敵中突破し薩摩に帰ろうとする西軍の島津義弘隊を全力で追撃。徳川一の槍働きの意地を見せました。

本多忠勝 相関図

主君:徳川家康徳川家康 

徳川四天王: 榊原康政榊原康政井伊直政井伊直政酒井忠次酒井忠次 

同僚:本多正信大久保彦左衛門石川数正  

  

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本多忠勝

素材:肖像本の字紋軍旗/イラスト:リアルPOP