目次
3.本能寺の変 4.長久手、関ヶ原の戦い 5.大坂夏の陣の次男
プロフィール
三河国(愛知県)出身。幼名・鍋之助、通称・平八郎。
本多氏宗家21代。上総国(千葉)大喜多城主、関ヶ原のあと伊勢国(三重県)桑名城主。
徳川家康の家臣で、四天王の一人。愛用の長い槍は蜻蛉切(とんぼきり)。
三方ヶ原の戦い前哨戦では殿(しんがり)として活躍。長久手の戦い、関ヶ原の戦いでも華々しい戦功をあげる。
忠勝曰く「合戦において槍を突くのは小身武士の技」その真意とは――!?
詳細
1.始祖は悪霊左府
徳川家康の家臣として、特に存在感のある武将・本多忠勝は徳川四天王の一人で、鹿の角の兜が有名です。五七度の戦場を経験。しかし一度も傷を負ったことがありませんが、信長曰く「花も実も兼ね備えた勇士」。
その先祖は、藤原氏北家で左大臣の顕光(あきみつ)。顕光は藤原道長の圧力で後宮対策に失敗、享年は七八で、道長一族にたたり世に悪霊左府(さふ:左大臣の唐名)とおそれられました。本多氏は顕光より一一代の助秀が豊後(大分県)本多に住したのにはじまります。
宗家二〇代忠高の長男として生を受けた忠勝でしたが、幼い頃に父を失いました。
2.三方ヶ原 前哨戦
一方で幼い頃より家康に仕えた忠勝の初陣は、永禄三年(1560)桶狭間の戦いで一三歳。この頃、家康こと松平元康は今川義元の人質で、義元が桶狭間で戦死したことにより、独立しました。
元亀三年(1572)一〇月三日武田信玄は、上洛途中の障害である遠江の家康を打ち払うため、二万五〇〇〇を兵をもって甲府を発ちました。
家康は浜松城を発ち天竜川をわたり、武田軍は先回りして家康本陣の退路を遮断。このとき、家康の殿(しんがり)軍を引き受け、押し寄せる武田軍を食い止めたのが忠勝二八歳でした。(三方ヶ原の戦い前哨戦)
3.本能寺の変
明智光秀が信長へ謀反を起こしたとの知らせを聞いた時、家康は三〇数人の家臣を連れて堺を見学している所でした。
この知らせは家康含め、酒井忠次・榊原康政・井伊直政・大久保忠隣などは驚きの余り思考停止に。
家康は「この少数の兵ではどうしようもならないし、雑兵の手にかかる前にこのまま信長公に殉じよう」と提案。忠勝はとりあえず三河に戻り兵を挙げ、光秀の首を取ることが大切だと主張。みな気を取り直して、忠勝の意見に賛同しました。
4.長久手、関ヶ原の戦い
天正一二年(1584)四月長久手の戦いでは、数万の秀吉の軍勢を三〇〇騎で食い止めようとした胆力ぶりに、秀吉から「東に本多平八郎あり、西に立花宗茂あり」と賞賛されました。
同一八年(1590)には上総(千葉県)大多喜に一〇万石を領しました。
慶長五年(1600)九月関ヶ原の戦いでは、僅かの手勢で九〇余の首級をさらいました。また、東軍のど真ん中を敵中突破し薩摩に帰還しようとする西軍の島津義弘隊を全力で追撃。このとき忠勝と違って?けがの多い井伊直政は、島津隊追撃中に右腕を被弾しました。
翌年、伊勢(三重県)桑名藩主本多家初代となり、一〇万石を領しました。同一五年(1610)一〇月一八日死去、享年六三。同藩は長男・忠政が継ぎました。
5.大坂夏の陣の次男
次男・忠朝(ただとも)は、上総・大多喜藩主本多家初代。大坂夏の陣では東軍先鋒として、松平忠直(結城秀康の嫡男、家康の孫)とともに口火を切りました。
しかしその士気においては西軍が上で、大坂方の先鋒・毛利勝永は松平勢を蹴散らし、正午に忠朝三四歳を討ち死にさせました。その後も快進撃を続け、家康本陣へと突き進みました――
6.槍について
さて。戦場で活躍し続けた忠勝ですが、あるとき息子たちの槍の稽古を見て大変怒り、こう言いました。
「合戦において槍を突くのは小身武士の技であり、大身は人数を扱う采配の振りようをよく稽古すべきである。自分も小身の時は自身で槍を取ったが、大身となった今は、もう自分の槍を取ることなく、采配を取って人数を扱うばかりである。」と。
ところで忠勝愛用の長い槍は蜻蛉切(とんぼきり)、加藤清正は片鎌槍(かたかまやり)。片鎌槍は槍の身の片方に鎌状の枝のあるもの。清正は朝鮮出兵において、虎が陣中の馬を狙って襲ってくるため片鎌槍で何度も退治。同じ槍働きでも忠勝と対照的と思い、蛇足ながらご紹介しました。
本多忠勝 相関図
本多氏:ほんだし
宗家
- 父:忠高、母:植村氏義の娘
- 長男:忠政、次男:忠朝
- 娘:小松姫(真田信之室)
傍系
徳川氏
参考文献
- 仁藤敦史「藤原氏(北家)」小和田哲男(監修)菅原正子ほか(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)532、539頁
- 竹村篤「本多忠勝」『天下取り採点 戦国武将205人』(新人物往来社、1998年)127頁
- 小和田哲男 監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)「本多忠勝」301頁
- 奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「大坂冬の陣・夏の陣」160-165頁
- 『戦国覇王』戦国大名篇(デル・ブラド・ジャパン社、2002~2003年)「本多忠勝」