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戦国武将解説

真田昌幸(さなだ-まさゆき)

プロフィール

真田昌幸
Masayuki Sanada

長野県の戦国大名。幼名は源五郎。真田幸村のお父さん。

元・武田信玄の臣下。

関ヶ原の戦いでは西軍につき、徳川秀忠軍38,000を僅か3,500、10分の1以下の兵力で撃退。

しかし現地・関ヶ原の西軍が敗れた為、徳川によって九度山に蟄居させられそこで死を迎える。

享年65(生1547-没1611)。徳川家康より4歳年下。

詳細

真田幸村真田幸村もとても強いですが、その父、真田昌幸昌幸もものすごくいくさに強い人です。少人数で敵を倒してしまうのがとても得意。徳川には2度も勝ってしまいました。

一度目は北条氏政北条氏政に真田家の領土を譲ってやれと徳川家康徳川家康に言われて、断り、攻めて来た徳川軍を城外で見事、撃退。

2度目は1度目の屈辱が忘れられない徳川秀忠徳川秀忠の軍三万八千が関ヶ原の戦いの時、関ヶ原に向かう途中に、真田家のあたりも通るので、ついでに真田も倒してやれと攻めて来ました。これを昌幸は幸村とともに居城の上田城で真田軍二千五百で撃退。

しかし関ヶ原の戦いで西軍は敗れたため、西軍についていた昌幸と息子の幸村は家康の処罰を受け、九度山に蟄居させられてしまいました。最後まで家康の許しを得られなかった昌幸は、九度山で死を迎えます。

そして息子の幸村が大坂城に入城。徳川との最期の戦いに挑みます。そしてまた幸村も少ない兵で徳川を何度も窮地に追いやりました。しかし衆寡敵せず、最期は豊臣家と一緒に幸村は散ってゆきました。

こんなロマンあふれる親子なので、真田は戦国時代の中でもとりわけ人気の高い「家」です。弱いものが強いものに勝つ。爽快な真田家です。

真田昌幸相関図

家族

長男:真田信之真田信之/次男:真田幸村真田幸村  

ライバル

ライバル:徳川家康徳川家康/ 徳川秀忠徳川秀忠本多正信北条氏政北条氏政

元主君

武田信玄武田信玄

  

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真田昌幸

肖像素材イラスト上田城