明智氏:あけちし
丹波(京都府)亀山の織田大名。
清和源氏土岐氏の支流とされ、美濃(岐阜県)明智荘(可児郡)に住んでいたことから明智氏を名乗るようになったと謂われるも、始祖については諸説あります。明智氏は光秀の時に知られるようになりました。
系図
- 光継:娘の小見(おみ)の方は斎藤道三に嫁ぎ、生まれた濃姫(信長室)は光秀のいとこにあたる。
- 光綱:一説に光国・光隆とも。光秀の父。
- 光秀:美濃を出て朝倉義景に仕官。そこで足利義昭に会い、信長との仲介役を果たした。信長に仕え、近江坂本城主。妻は妻木範熙(つまき-のりひろ)の娘・熙子(ひろこ)。
光秀の婿
- 明智光満(ひでみつ):光秀に仕え、その娘(はじめ荒木村重の子・村次の妻)を妻とした。丹波福知山城主。本能寺の変で先陣、ついで安土城を守備。山崎の戦いの敗報を受け、近江坂本城に入り光秀の妻子らを刺殺して自害。
- 織田信澄:織田信行長男。元服して津田を称す。近江大溝城主。光秀の娘婿。本能寺の変の際は、織田信孝に属して大坂城にいた。光秀の縁者を理由に信孝に殺された。享年二五、二六、二八説あり。
- 細川忠興:光秀の娘・玉(ガラシャ)の夫。
その他
- 斎藤利三(としみつ):母が光秀の妹の説あり。光秀の重臣で、山崎の戦いに倒れる。享年四五、または四九。娘は春日局。
参考文献
- 小和田哲男「明智氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)64-65頁