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戦国武将解説

織田信孝(おだ-のぶたか)四国方面軍司令官・信長三男、宿命の最期

目次

プロフィール

詳細:1.次男早く生まれた三男 2.四国方面軍司令官

3.清州会議 4.源義朝最期の地で――

相関図関連記事参考文献

プロフィール

織田信孝
Nobutaka Oda

信長の三男。別名・神戸信孝(かんべのぶたか)。

次男・信雄より二〇余り早く生まれる。優秀な武将で、織田信長家臣団・四国方面軍の司令官。

父・信長と兄・信忠が死去すると、次兄・信雄と織田家の跡目争うが、清州会議で秀吉の主張により、跡目は兄・信忠の子・三法師に決まってしまう。

これを不服として、柴田勝家滝川一益とともに秀吉と戦うが――!

享年26(1558-1583)。同世代は、藤堂高虎蒲生氏郷大谷吉継ら。

詳細

1.次男早く生まれた三男

織田信孝は、織田信長織田信長の三男。信長の長男・織田信忠信忠と次男・織田信雄信雄の母は生駒氏(吉乃)。信孝の母は坂氏。信忠とは一歳違い、信雄より二〇余り出生が早かったと言われています。

信孝の母は、身分の低い生まれ且つ信長の側室であったため、正室待遇の生駒氏の子・信雄が次男になってしまったようです。こうして生まれた瞬間からドラマチックな信孝の人生の幕が開けました。

信孝が一一歳の時、伊勢の豪族・神戸具盛が信長に降伏し、具盛に子がないのに乗じて信孝は養子になり、信長の命で神戸家の家督を継ぎました。この為、信孝は神戸信孝(かんべのぶたか)とも呼ばれています。

2.四国方面軍司令官

その後、信孝は尾張・伊勢と越前の一向一揆の平定、雑賀衆の征伐、荒木村重の有岡城攻めなどで活躍。ついに織田家臣団の華形・5つの方面軍の一つ・四国方面軍の司令官として織田の大軍を預かるまでになりました。

四国方面軍は、副将を丹羽長秀丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田住澄の三人とし、長宗我部元親長宗我部元親の討伐を目的として組織されました。

3.清州会議

信孝は優秀な武将として、信長からも認められ、人望もありました。しかし信孝二五才の時、明智光秀が本能寺で父・信長を討つと、信孝は明智光秀明智光秀と気脈を通じてるとして津田住澄を殺害してしまいました。

そして豊臣秀吉羽柴秀吉とともに山崎で光秀を倒したあと、織田家の後継者を決める清州会議が開かれました。

嫡男で長男の信忠は、本能寺の変のあと二条御所で光秀に討たれた為、信孝は信雄と跡目を争いました。自分の方が信雄より二〇日余り早く生まれたのに三男にされた恨みが蒸し返してきました。

信雄は信雄で次男の立場を譲りません。この二人で決着をつけるのは返って混乱を招くとして、山崎で光秀を倒した秀吉の推す信忠の子・三法師(秀信)が織田家の跡目に決まりました。

信孝は三法師の補佐役として岐阜城と美濃国を与えられました。この処置が頭にきた信孝は、信孝を推挙した柴田勝家柴田勝家と賛同者・滝川一益佐々成政佐々成政とともに秀吉を討伐することにしました。

4.源義朝最期の地で――

清州会議から四ヶ月後、信孝は戦闘の準備をしていましたが、たまたま季節が冬に向かっていて、北国の勝家が雪の為、出陣ができず戦闘を開始できませんでした。

これを見越した秀吉は、信孝の岐阜城を包囲したので、信孝は三法師を引き渡し老母と娘を質として秀吉に和を請いました。

しかし秀吉が一益を伊勢に攻め、勝家の軍を迎え討つ為、近江に軍を進めると、信孝は長宗我部元親と連携して再び岐阜城に挙兵しました。秀吉は信雄を岐阜城にあたらせました。

信孝は勝家が越前で敗北したことを知ると意気消沈して、信雄の勧めにより城を開きました。

そのあと秀吉の命で、尾張国知多郡内海(うつみ)の野間大坊(大御堂寺)に移りました。ここはかつて源義朝が入浴中、寸鉄を帯びず家来に殺された場所でした。

そんなこともあり信孝は、「昔より主をば内海の野間なれば うらみを見よや 羽柴御前」と秀吉への恨みの句を詠んで信雄の命で切腹しました。享年26

織田信孝 相関図

家族と親族

お父さん:織田信長織田信長/長兄:織田信忠織田信忠/次兄:織田信雄織田信雄

いとこ:淀殿(茶々)素材淀殿(茶々)お初(常高院)素材お初お江(小督、江与)素材お江

四国方面軍

副将:丹羽長秀丹羽長秀/討伐対象:長宗我部元親長宗我部元親

ライバル

明智光秀明智光秀豊臣秀吉羽柴秀吉池田恒興

味方

柴田勝家柴田勝家滝川一益佐々成政佐々成政

  

関連記事

織田信長家臣団相関図家紋(織田木瓜素材)

参考文献

国史大辞典編集委員会 (著)『国史大辞典 第2巻 う~お 』(吉川弘文館、1980年)

谷口克広『信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書) 』(中央公論新社、2005年)

新人物往来社 (編集)『天下取り採点 戦国武将205人 』(新人物往来社、1998年)

奈良本 辰也 (監修)、主婦と生活社 (編集)『戦国武将ものしり事典 』(主婦と生活社 、2000年)