はじめに
戦国時代、守護・守護代・国人など様々な階層の武士たちが台頭。それら階層を知るためにも、ここで室町幕府の機構を整理してみましょう。
図:室町幕府の機構
中央
管領(かんれい):三管領
将軍を補佐。足利氏一門の有力守護である、細川・斯波(しば)・畠山の三氏が交代で任命され、三管領(さんかんれい)と呼ばれました。
侍所(さむらいどころ)
政所(まんどころ)
- 将軍家の家政・財政を司る。飯尾(いのお)・松田・斎藤・清(しょうし)ら、将軍直臣の特定の家々で構成。
評定衆-引付(ひきつけ)
- 所領の訴訟を審理。評定が儀式化したため有名無実で、栄誉職的存在となった。
地方
鎌倉府:鎌倉公方
尊氏は鎌倉幕府の基盤であった関東を特に重視。子の基氏(もとうじ)を鎌倉公方(くぼう)として鎌倉府を開かせ、関東八ヵ国と伊豆・甲斐を加えた一〇ヵ国を支配させました。鎌倉公方は基氏の子孫が世襲。
- 関東管領:公方を補佐。上杉氏が任じられる。
九州、奥州・羽州探題
- 九州探題:鎮西(ちんぜい)探題とも。九州諸将を統制。今川了俊の活躍が有名だが、将軍義満に警戒され、探題の任を解かれ失脚。その後、九州探題も衰え渋川氏が世襲、名ばかりの存在になった。
- 奥州探題:奥州の軍事・民政を担当。明徳三年(1392)鎌倉府の管轄に実質を失い、斯波一族の大崎氏が名称だけ世襲。伊達政宗の頁参照のこと。
- 羽州(うしゅう)探題:奥州探題より分離。出羽国の軍事・民政を担当。奥州探題と同じくを失い、斯波一族の最上氏が名称だけ世襲。
守護・守護代、国人
室町幕府は、鎌倉幕府・建武の新政を崩壊させた全国の武士たちをまとめあげるため、各国に守護(しゅご)を派遣。守護の多くは足利氏の一門で、地元の有力者が守護に登用された例は少。
義満のころには守護の配置も安定、守護職(しき)は世襲されました。彼らは守護代(しゅごだい)に領国を統治させ、自身は在京して幕府に出仕するようになりました。この時代の守護を守護大名と呼びます。
当時、地方に土着した武士たちを国人(こくじん)と総称。国衆ともいい、守護大名の力の弱い地域では彼らの活動が盛んでした、
参考文献
- 佐藤信・五味文彦・高埜利彦・鳥海靖『詳説日本史研究』(山川出版社、2017年)「1.室町幕府の成立_第五章 武家社会の成長」179,181,183-185頁