目次
プロフィール
伊勢(三重県)鳥羽の水軍将。文禄の役日本水軍司令官長。
織田信長の命令で甲鉄戦艦を建造。これをもってして石山合戦では無敵の毛利水軍を負かした。しかし世界は広かった――
文禄の役において渡海した嘉隆は、脇坂安治と加藤嘉明と共に朝鮮水軍を撃滅する。はずだったが、功名を焦った安治は手勢のみで出陣。
詳細
1.甲鉄戦艦建造
水軍として名高い嘉隆は、志摩国(三重県東部)田代城主・九鬼定隆の次男。
九鬼は紀伊熊野灘(くまのなだ)の九鬼浦を拠点にした豪族で、伊勢湾一帯に支持者がおり且つ操船や造船など優れた技術を有していました。
初め伊勢国司北畠氏に属していましたが、織田信長上洛後に家臣となって、伊勢志摩を本拠としました。新参家臣でしたが、信長は技術集団などの職人を重視したため優遇されました。
かくして信長の命令で嘉隆は甲鉄船を建造。この甲鉄船は防火として矢倉の部分を鉄片で覆った木の大船です。
天正六年(1576)一一月石山合戦・第二次木津川口の戦いにおいて嘉隆三五歳は、甲鉄船六艘と滝川一益の一艘、来島村上水軍来島通総を従えた三〇〇艘で、海の覇王だった毛利(輝元)・村上水軍六〇〇艘に撃破しました。
同一〇年(1582)信長が本能寺で討たれると、豊臣秀吉の有力水軍武将になり、嘉隆の次なる戦いの舞台は東アジアの海へと移ってゆくのでした。
2.文禄の役緒戦
秀吉明国制圧の野望により、文禄元年(1592)四月一三日、第一軍の小西行長・宗義智らが釜山に上陸すると、日本の諸将が次々と朝鮮へ侵攻。嘉隆五一歳もこれに続きました。
日本軍は半月余りで首都ソウル(漢城)を制圧。
日本軍に次々と敗れる中で、李舜臣が水軍を率いて巨済島(コジェド)玉浦(オクポ)で藤堂高虎の水軍を撃破し、朝鮮軍最初の一勝を挙げると、その後も次々に海上で日本軍を撃退。
一方、ソウルが落ちると首都回復のために朝鮮南部の全羅(チョルラ)・忠清(チュンチョン)・慶尚(キョンサン)三道の朝鮮軍が総力を結集し北上。権慄もこれに加わりました。
しかしこれら三道の朝鮮軍を脇坂安治率いる日本軍が同年六月六日、ソウルにほど近い龍仁(ヨンイン)であっさり撃退してしまいました。
3.李舜臣との戦い
そんなノリに乗っている安治に秀吉から朝鮮水軍の撃滅を命が下ります。
秀吉の期待を一身に背負って安治は、その余勢をもって嘉隆・加藤嘉明らと共にソウルから南下。
朝鮮水軍が手ごわいことを認識した秀吉は、安治・嘉隆・嘉明の三水軍将に防戦を命じたのですが、功名を焦った安治は抜け駆けして手勢のみで同年七月八日、巨済島(コジェド)に出撃してしまいました。
これを待ち構えていた李舜臣率いる朝鮮水軍が閑山島(ハンザンド)沖で亀甲船一一隻を加えた六〇余隻で猛攻。日本軍は五九隻の兵船を失い、安治は九死に一生を得ました。
安治の救援に嘉隆と加藤嘉明が駆けつけましたが、劣勢を知ると安骨浦(アンゴルポ)に引き揚げてしましました。しかし同年七月一〇日に李舜臣率いる朝鮮水軍は、安骨浦の九鬼・加藤らを襲撃、これも撃破しました。
翌年、嘉隆・嘉明・安治の三人組は秀吉の命令で安骨浦に倭城を築城し、一年交代で在番を勤めました。
4.関ヶ原の戦い
一時停戦時に入ると帰国。秀吉から文禄の役の功により志摩一国と伊勢(三重県)に三万五〇〇〇石を安堵されました。こうして鳥羽城主となり志摩半島に水城の鳥羽城を築きました。
慶長の役には参戦せず、慶長五年(1600)関ヶ原の戦いでは、嘉隆は西軍に、子の守隆(もりたか)は東軍に属しました。則ち嘉隆の戦う相手は子の守隆。かくして、この親子は海の上で芝居をやっていました。
東軍の勝利で守隆は知行が伊勢に二万石を加増されて、志摩鳥羽藩主二代、五万五〇〇〇石となりました。形ばかりでも西軍についていた嘉隆は、守隆に迷惑がかからぬよう自ら命を落としました。享年五九。
寛永九年(1632)守隆六〇際が死去。守隆の遺領は、嗣子(しし)久隆と久隆の兄・隆季(たかすえ)が家督を争い、摂津三田(さんだ:兵庫県)と丹波綾部(京都府)に転封なりました。
九鬼嘉隆 相関図
九鬼氏
- 父:定隆、母:不明
- 兄:浄隆(きよたか)
- 甥:澄隆(すみたか)。浄隆の子。嘉隆は澄隆の養子。
- 子:守隆。鳥羽藩主二代。遺領は下記ニつに分割相続される。
摂津三田(さんだ:兵庫県)藩
- 久隆:守隆五男。摂津三田藩初代、三万六〇〇〇石。享年三三
- 隆昌(たかまさ):久隆長男。三歳で同藩主二代。享年二三
- 隆律(たかのり):因幡鳥取藩主・池田光仲(恒興の曾孫)三男。隆昌の養子となり、同藩三代。享年三〇。以降、同藩は幕末に至る。
丹波綾部(京都府)藩
- 隆季:守隆次男。丹波綾部藩初代、二万石。享年七一
- 隆常:隆季の子。同藩二代。享年五三。以降、同藩も幕末に至る。
海戦
木津川口の戦いin石山合戦
文禄の役
参考文献
- 京都信長研究会『織田信長-スーパー情報ガイドブック』(データハウス、1991年)
- 北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略』(吉川弘文館、1995年)
- 笠谷和比古・黒田慶一『秀吉の野望と誤算』(文英堂、2000年)-文禄・慶長の役と関ケ原合戦
- 奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「石山の戦い」114頁
- 小和田哲男「九鬼氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)259-260頁