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系図

朝倉氏系譜 越前守護・義景の先祖と滅亡

朝倉氏:あさくらし

三盛木瓜
三盛木瓜

越前(福井県)の戦国大名。朝倉氏は代々、越前の守護斯波(しば)氏に仕える家臣でしたが、七代・孝景は家老となり、斯波氏を倒して守護職を得ました。

系図

  1. 広景(ひろかげ):越前朝倉氏の祖とされる。子の高景と共に、足利尊氏の挙兵に従う斯波高経(たかつね)に属し越前に入る。坂井郡黒丸城により、新田義貞らと戦う。
  2. 高景:斯波義将(よしまさ:高経の子)が二代将軍足利義詮(よしあきら)のとき、越前守護代となる。

越前守護 五代

  1. 孝景(敏景):応仁の乱を機に、守護斯波氏にかわって越前を支配。本拠地を一乗谷(福井市)を本拠に戦国大名としての基盤を築く。子の氏景に書きのこした家訓書「朝倉敏景一七箇条」がある。
  2. 氏景:弟に教景(のりかげ:宗滴)。教景は、以下貞景・孝景・義景三代の後見をつとめる。
  3. 貞景:氏景の子。
  4. 孝景(宗淳):貞景の子。将軍足利義植(よしたね)をたすけて六角氏綱を討ち、足利義晴の代には三好氏をやぶった。のちに幕府の相伴衆となる。
  5. 朝倉義景義景:孝景の子。ブレーンの教景が八二歳で死去(天文二四年九月)。同盟関係の浅井長政浅井長政と共に織田信長信長に対抗するが、姉川・石山の戦いに敗れて自刃。当家は滅亡した。享年四一。

参考文献

  • 小和田哲男「朝倉氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)67-68頁
  • 奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「朝倉孝景_家訓で知る名将の処世術」323-325頁

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