織田氏:おだし
斯波氏は、越前を守護代朝倉氏、遠江を隣国駿河の守護・今川氏に奪われました。尾張は守護代・織田氏の庇護のもと領国を保つも、織田氏は岩倉と清州の二家が対立しました。
- 信定:信長祖父。尾張守護代・清州織田家の家臣として尾張勝幡(しょうばた)城を居城とし、商品流通の中心、津島地域を押さえた。
- 信秀:信長父。清州織田氏の三奉行(実務担当)の一人だったが、主家を凌ぐ勢いとなる。美濃(岐阜県)の斎藤道三に敗れ、道三の娘・濃姫を信長と結婚させ和議を結ぶ。享年四一
信長一族
兄弟
一三人兄弟で、長生きしたのは二人だけ。このほか姉は三人、妹は九人いる。
- 信広:信秀の子、信長異母兄。三河(愛知県)安祥(あんじょう)の守将だったが、今川軍に敗れて捕虜となり、人質の松平竹千代(家康)と交換される。一時信長とあらそうも許され、京都で室町幕府との連絡役をつとめる。長島一向一揆鎮圧の際に討ち死。
- 信行:信長のすぐ下の弟。母は信長よりも信行を溺愛。信長が清州に招いて殺した。信行の子の信澄は光秀の娘婿。
- 信包(のぶかね):信秀四男、信長の弟。天正元年(1573)の小谷城攻めでは、お市と三人の娘を受け取る。秀吉死後、その遺命で秀頼の補佐役となった。享年七二
- 信興(のぶおき):信長の弟。尾張小木江城を守っていたが、元亀元年(1570)伊勢長島の一揆に攻められて自殺。
- 長益(ながます):有楽斎(うらくさい)。信秀一一男、信長の弟。本能寺の変後、あっさり武士を捨て「楽有り」の人生を選ぶ。利休七哲。東京有楽町の屋敷跡にその名が残る。享年七五。
- お市の方:信長妹。夫の浅井長政の間に茶々・お初・お江と二男。享年三七
妻妾:多数
- 濃姫:帰蝶。斎藤道三の娘。信長正室。子どもなし。
- 吉乃(きつの):生駒蔵人家宗の娘。下記信忠、信雄らを生む。小牧城に迎えられ御台様と称せられ、正室として遇された。
子供:実子二二人、養子一人
男子
女子
孫
- 三法師:秀信。信忠嫡男。本能寺の変後、清須会議で秀吉に推され、三歳で織田家後継者にたてられる。一一歳の時に岐阜城主。関ヶ原の戦いでは西軍に属して、戦後は剃髪して高野山に蟄居。享年二六。
家臣
参考文献
- 小和田哲男「織田氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)198-203頁
- 奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「織田信長系図」186-188頁
- 小和田哲男 監修『ビジュアル 戦国1000人』(世界文化社、2009年)「織田の一族の武将・連枝」27頁