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戦国武将解説

村井貞勝(むらい-さだかつ)信長側近で京対策に奔走する元祖京都所司代

目次

プロフィール詳細相関図関連記事参考文献

プロフィール

村井貞勝
Sadakatsu Murai

元祖・京都所司代。

戦場での活躍がほとんどない為、余り知られていないが織田信長の側近中の側近。

信長は将軍や朝廷対策にかなり骨を折っていたが、京都所司代として信長の期待に応えた。

享年55?(1528?-1582)。同世代は、明智光秀佐久間信盛酒井忠次

詳細

1.京都所司代の元祖

織田信長織田信長の側近であり、信長によって京都所司代(しょしだい)に任命された村井貞勝村井貞勝は、朝廷との交渉、禁裏(天皇の住居)の普請、京都の治安維持等を任されていました。

そんな貞勝のことを宣教師のルイスフロイスは、「都の総督」と呼びました。

貞勝は本能寺の変に際し、二条御所で討死します。しかし京都所司代としての貞勝が行った職務は、徳川幕府の京都所司代・板倉勝重のモデルとなり、江戸時代に脈々と引き継がれていくのでした。

2.足利義昭のマイホーム

二条城門 二条城庭
現存の二条城 2004年撮影

信長が上洛する前の話。足利義昭将軍・足利義昭(よしあき)は、兄である前将軍・義輝(よしてる)が松永久秀たちに殺されたあと悲しいかな、近江、若狭、越前と流浪の日々を送っていました。

そんな義昭は、自分を奉じて上洛するよう信長に書状を送りました。信長も上洛するには将軍の権威が必要だったので義昭を奉じて、諸国の大名たちを倒し上洛することにしました。

無事上洛を果たした信長は、義昭を将軍職に就けました。しかし義昭にはまだマイホームがありません。そこで将軍御所・二条城を建設すべく、信長からこれを任されたのが貞勝なのでした。

将軍御所・二条城は本能寺で消失。現存の二条城は徳川家康徳川家康の宿舎として造営されました。

3.禁裏(きんり)がボロボロ!

京都御所その2
京都御所 2004年撮影

戦国時代の朝廷は経済的にとても困窮していました。上洛を果たした信長は、正親町天皇正親町天皇(おおぎまちてんのう)から勅命を受けて、織田家の経済力をもって天皇の住まいである禁裏(きんり)を修復することにしました。織田家側のメリットとしては、こちらの正義を諸国に示すことができます。この禁裏修復担当も貞勝でした。

貞勝は禁裏修復作業中、天皇はじめ公家や女官など朝廷側の繋がりが自然にできました。この繋がりは、これ以降、京都所司代として朝廷と信長との連絡役、交渉役として活躍する貞勝の財産となりました。

4.もう一人の京都所司代?

さて、京都所司代は貞勝一人なのですが、貞勝は頻繁に明智光秀明智光秀と組んで京都&朝廷対策等の仕事をしています。貞勝の重要な繋がりとして、光秀の名前も忘れずにここに挙げておきたいおきたいと思います。

村井貞勝 相関図

主君と同僚

主君:織田信長織田信長/同僚:明智光秀明智光秀 

交渉相手

足利義昭足利義昭正親町天皇正親町天皇

徳川幕府の京都所司代

板倉勝重

  

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村井貞勝

村井貞勝肖像素材イラスト

参考文献

谷口克広『信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書) 』(中央公論新社、2009年)

永原慶二 編『日本歴史大事典』(小学館、2000年)