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戦国武将解説

丹羽長秀(にわ-ながひで)安土城普請奉行、信長死後は織田を再興せん

目次

プロフィール詳細相関図関連記事

プロフィール

Nagahide Niwa

柴田勝家佐久間信盛と並ぶ織田信長老臣。幼名は万千代。

近江(滋賀県)佐和山城主にして若狭(福井県)の支配を任される。

また安土城普請奉行、四国方面軍副将を担った。

享年51歳(1535-1585)。同い年は、荒木村重島津義弘九戸政実。信長より1つ年下。

詳細

織田信長織田信長の重臣であり、四国方面軍・副将でありながら、意外にノーマークなのが彼・丹羽長秀のような気がします。

柴田勝家柴田勝家佐久間信盛と並んで、織田家トップの家臣として活躍。織田家臣時代、豊臣秀吉秀吉が羽柴秀吉と名乗っていたのは、柴田と丹羽、両方の苗字を一字取ってのことでした。

信長の戦いで功を上げ、近江(滋賀県)佐和山城主。浅井長政浅井・朝倉氏滅亡後、若狭(福井県)を支配を任されましたが、居城は佐和山城主のままです。また信長からの信頼が厚い長秀は、信長の兄の娘を妻としました。

明智光秀明智光秀の謀反により信長が死去すると、長秀は柴田勝家ではなく、自分を慕っていた秀吉に属し、若狭一国と近江の滋賀・高島の二郡を知行。天正一一年(1583)勝家VS秀吉の賤々岳の戦いで、長秀は秀吉を勝利へと導き、秀吉は天下人となりました。

長秀が秀吉に協力した理由は、秀吉が織田家を再興するという思いがあったからでした。しかし秀吉にその気はなく、長秀は次第に秀吉に失望。勝家地行分を含めた一二〇万石という大きな所領を秀吉から賜り越前(福井県)北ノ庄城主。しかし有難くもなんともない長秀は、賤々岳の戦いの僅か一年半後に死去。自殺ともされています。

織田家重臣でありながら目立たなく、しかし安土城普請をはじめ、仕事はきっちりこなす。織田家にとってなくてはならなかった人、清らかな武将、丹羽長秀でした。

丹羽長秀 相関図

織田家

主君:織田信長織田信長/同僚:柴田勝家柴田勝家佐久間信盛

四国方面軍

大将:織田信孝/副将:丹羽長秀、蜂屋頼隆、津田住澄の三人

ライバル:長宗我部元親長宗我部元親

長秀を慕い、また長秀を失望させた武将

豊臣秀吉豊臣秀吉

  

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素材:肖像直違紋/イラスト:安土城村井・蘭丸と年賀状2014,2016お煎餅