戦国サプリメント

戦国未満

  1. HOME
  2. 資料集
  3. 戦国講座

戦国講座

顕如と石山合戦解説

非常にしたたたかな戦国時代のお坊様、顕如。知っているようで知らない、顕如と織田信長のドラマチックな戦い、石山合戦を分かり易くまとめてみました。

1.顕如のプロフィール

本願寺顕如
Kenyo Honganji

顕如(けんにょ)は、本願寺一一世法主、一向宗徒を傘下に収める本願寺教団のドンであります。

ライバルである織田信長織田信長より九歳年下。

信長は瀬戸内海航路に便利な本願寺の地、石山に城を築きたいと思い、顕如に「石山を譲ってくんない?」と申し出ました。しかし顕如は信長のこの申し出をキッパリと断りました。

2.アンチ信長武将ども、集まれ~!

顕如は信長の上記申し出を断った上、松永久秀に敗北した三好三人集(三好長逸・三好政康・岩成友通)に加え、姉川の戦いで信長に敗北した朝倉義景朝倉義景浅井長政浅井長政と手を結び、反信長包囲網を作り上げてしまいました。ここに顕如VS信長の戦いの幕が切って落とされます。信長の人生最大の試練・石山合戦スタート!

顕如は武将だけでなく、伊勢長島(三重県)の一向一揆も味方につけました。長島の一揆は尾張に侵攻、信長の弟・信興(のぶおき)が守る小木江城を攻め落とし信興を自害させました。

織田軍、まさかの敗戦。信長は仕方なく、顕如、浅井・朝倉に和議を申入れました。

3.長島一向一揆

信長は信興の弔い合戦の為、長島の一向一揆を倒すべく、挙兵。結果、また織田軍惨敗しました。織田軍の氏家卜全(ぼくぜん)は討死、柴田勝家柴田勝家は負傷。怒りも頂点に達した信長は二度、三度と長島の一揆を攻撃し、やっとこさ長島の一揆は平定しました。

次に信長は、顕如と繋がりのある越前と加賀の一向一揆を徹底的に攻撃。今度は本願寺側のピンチになり、一度目は信長からでしたが、二度目は顕如から信長に和議を申し出ました。

しかし顕如は裏で、和歌山県の鉄砲集団・雑賀衆(さいかしゅう)に加え、足利義昭足利義昭毛利輝元毛利輝元と手を結び、再び信長と対決する準備を進めていました。

火縄銃

4.雑賀衆の鉄砲

織田軍は、自分から申し出ておいて和議を反故(ほご)にした顕如と、今度は摂津(大坂府)で対決します。

しかし織田軍がまたの大苦戦。織田軍の塙直政(ばんなおまさ)が雑賀衆の鉄砲にあたり討ち死、更に織田軍は自軍の天王寺砦を包囲されてしまいました。

水軍

7.木津川口海戦

その時、京にいた信長はその知らせを受け、急ぎ兵を引き連れ、天王寺砦を囲む一揆勢を打ち破りました。しかし息つく暇など織田軍にはありません。今度は顕如と手を組んだ毛利輝元が率いる水軍が、織田の水軍を見事にかわして本願寺に兵糧を運ぶことに大成功。

雑賀衆を倒した織田軍は、次に毛利水軍を攻撃。織田軍の九鬼嘉隆九鬼嘉隆は、信長出資の甲鉄戦艦六艘含む三百艘で、無敵の毛利水軍六百艘を見事破りました。これで信長はやっと、毛利から運ばれてくる本願寺の補給路を断つことに成功しました。これを木津川口海戦といって、村上水軍とは 後編もご参照ください。

8.本願寺が東と西に分かれる

木津川口海戦の敗北で顕如は、今度こそ本気で信長に降伏。一一年にも及ぶ石山の戦いは幕を閉じ、顕如は本願寺を去り、和歌山県にあるお寺に移りました。

しかし、顕如の長男・教如(きょうにょ)が信長に対抗、再挙を企て失敗に終わります。顕如はそんな教如と縁を切り、三男の准如(じゅんにょ)を次の法主に決めます。こうして東本願寺は教如で、西本願寺が准如と本願寺は分かれました。

顕如が後にした石山の地には、のちに豊臣秀吉豊臣秀吉が大坂城を建てました。顕如、享年五〇。

  

織田信長関連リンク

織田信長イラスト解説

素材:肖像1肖像2木瓜紋永楽通宝銭軍旗信長家臣団

外部リンク

東本願寺東本願寺の見所

西本願寺西本願寺建造物