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戦国武将解説

武田信玄(たけだ-しんげん)

プロフィール

武田信玄
Shingen Takeda

甲斐(山梨県)の戦国大名。幼名は太郎。武田家19代当主。

いくさ上手で、徳川家康にも勝利した実績を持つ。

中立な裁きを重んじた法令・甲州法度之次第、洪水を防ぐ為に築かれた信玄堤(づつみ)など領国経営にも手腕を発揮。

重臣は24人もいて、そのうちの一人・高坂昌信からはラブレターまでもらってしまう。トイレは水洗式を使用。

享年52(生1521-没1573)。

今川義元より2つ年下。上杉謙信より9コ、織田信長より13コ年上。

詳細

武田信玄信玄に親しみを感じられるのは地元山梨県民でないとなかなか難しいかもしれません。お父さんを追放したり、敵を倒してそこのお姫様を側室にしてしまうとかそういうことを聞くと、暗いイメージがつきまとってしまいます。

しかしお父さんも落とせなかった城を一五歳の初陣の時、あっさり落としてしまう天才でもあります。そののち、村上義清にはニ回負けて大切な重臣を失いました。

この屈辱をバネに上杉謙信上杉謙信北条氏康北条氏康織田信長織田信長という強敵を相手に渡り歩いていきました。

力をつけた信玄は、上洛を目指すことにしました。それにはまず、徳川家康徳川家康の軍を倒さなければなりません。家康もいくさ上手。しかし信玄は見事に家康の作戦を見抜き、勝利しました。

この戦いは三方ヶ原(みかたがはら)の戦いといい、家康唯一の負けいくさとなりました。しかしせっかく勝利したこの戦いののち、信玄は病に倒れ上洛の夢は叶いませんでした。

甲州法度之次第(こうしゅうはっとの-しだい)とは

戦国時代の分国法である信玄が制定した甲州法度之次第(以下甲州法度)は、中立な裁きを重んじた非常によく出来た法令です。

甲州法度は全五七ヵ条、行政、租税、刑法、私法、訴訟といった内容で構成。最大の特徴は、甲州法度を犯す者は例え自分(信玄)であっても、責任を負わなければいけない点です。

このことを日本国憲法と照らし合わせてみると、第一四条・法の下の平等と酷似。ちなみに大日本帝国憲法(明治憲法)には法の下の平等の規定は特にありません。そのようなわけで甲州法度は時代のかなり先端をいっていた法令だったと言えます。

信玄の常勝の秘訣とは?

信玄のすごい点のひとつに「信玄の五分勝ち」というものがあります。「信玄の五分勝ち」というのは、「引き分けもでもよし」という考え方です。

信玄のイメージからすると「何が何でも勝ってやる!」なのかと思いがちですが、勝てる相手に戦を挑むのも信玄が常勝できた秘訣。強い相手、上杉謙信や北条氏康と戦わなければならない時は、「引き分けでもいいや~」と案外リラックスして望んだのかもしれません。

武田信玄相関図

家族

息子:武田勝頼武田勝頼/弟:武田信繁・信廉/家臣:山本勘助山本勘助高坂昌信

ライバル

上杉謙信上杉謙信織田信長徳川家康徳川家康

甲相駿三国同盟

北条氏康北条氏康今川義元今川義元

その他

意外に手強かった武将:村上義清/甲斐国に招いたお坊様:南光坊天海

一度会ってみたかった九州の武将:立花道雪立花道雪

  

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武田信玄

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