倭城一覧
【凡例】 倭城:築城年、築城者。/慶長二年一二月(蔚山の戦い時点)の在番者。
右軍:慶尚道 南東海岸
- 蔚山倭城:慶長二、浅野幸長・太田一吉・宍戸元続ら築城。/加藤清正・浅野幸長・太田一吉・宍戸元続ら在番。
- 西生浦(ソセンポ,서생포)倭城:文禄二、加藤清正築城および在番。
- 梁山(ヤンサン,양산)倭城:慶長二、黒田長政および在番。
- 馬山(マサン,마산)倭城:慶長二、鍋島直茂・勝茂および在番。
総大将:釜山日本本営
水軍:慶尚道 南海岸
左軍:慶尚道 南西海岸+全羅道 順天
倭城とは
倭城(わじょう/ウェソン,왜성)とは、日本軍が朝鮮南岸一帯に築いた日本式の城郭で、御仕置之城(おしおきのしろ)とも呼ばれています。
倭城の多くは、日明和議交渉により文禄二年四月日本軍ソウル撤退後、豊臣秀吉の命令によって築城。慶長の役後半戦は倭城を軍事拠点としました。
東は慶尚道・蔚山、西は全羅道・順天まで約三〇ヶ所の倭城があり、その遺跡は現存しています。分布図と一覧は慶長の役を理解するにあたって、知っておくとよい倭城一一城を厳選しました。
倭城を巡る主な戦いは慶長の役年表の通り、加藤清正の蔚山の戦い・島津義弘の泗川の戦い・小西行長の順天の戦いです。秀吉の朝鮮出兵を知るうえで、まずはこの三倭城を覚えましょう。