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文禄・慶長の役

倭城とは 分布図と一覧

目次

倭城分布図一覧倭城とは参考文献関連記事

慶長の役での戦いの中心となった倭城について地図や表を用いて解説。

倭城分布図

倭城分布図

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慶長の役 日本軍 :右軍在番の倭城/:左軍在番の倭城/:水軍在番の倭城/:日本本営 釜山倭城

倭城一覧

【凡例】 倭城:築城年、築城者。/慶長二年一二月(蔚山の戦い時点)の在番者。

右軍:慶尚道 南東海岸

  1. 蔚山倭城:慶長二、浅野幸長浅野幸長・太田一吉・宍戸元続ら築城。/加藤清正加藤清正・浅野幸長・太田一吉・宍戸元続ら在番。
  2. 西生浦(ソセンポ,서생포)倭城:文禄二、加藤清正築城および在番。
  3. 梁山(ヤンサン,양산)倭城:慶長二、黒田長政黒田長政および在番。
  4. 馬山(マサン,마산)倭城:慶長二、鍋島直茂鍋島直茂・勝茂および在番。

総大将:釜山日本本営

  1. 釜山(プサン,부산)倭城:文禄元、毛利輝元毛利輝元築城。/小早川秀秋小早川秀秋毛利秀元毛利秀元宇喜多秀家宇喜多秀家在番。

水軍:慶尚道 南海岸

  1. 安骨浦(アンゴルポ,안골포)倭城:文禄二、脇坂安治脇坂安治九鬼嘉隆九鬼嘉隆加藤嘉明加藤嘉明築城。/藤堂高虎藤堂高虎・脇坂安治交代在番。
  2. 熊川(ウンチョン,웅천)倭城:文禄元、小早川隆景小早川隆景築城。/藤堂高虎・脇坂安治交代在番。

左軍:慶尚道 南西海岸+全羅道 順天

  1. 固城(コソン,고성)倭城:慶長二、立花宗茂立花宗茂築城および在番。
  2. 泗川倭城:同年、長宗我部元親長宗我部元親・毛利吉成ら築城。/島津義弘島津義弘在番。
  3. 南海(남해,ナムヘ)倭城:同年、脇坂安治ら築城。/宗義智宗義智在番。
  4. 順天倭城:同年、宇喜多秀家・藤堂高虎築城。/小西行長小西行長在番。

倭城とは

倭城(わじょう/ウェソン,왜성)とは、日本軍が朝鮮南岸一帯に築いた日本式の城郭で、御仕置之城(おしおきのしろ)とも呼ばれています。

倭城の多くは、日明和議交渉により文禄二年四月日本軍ソウル撤退後、豊臣秀吉豊臣秀吉の命令によって築城。慶長の役後半戦は倭城を軍事拠点としました。

東は慶尚道・蔚山、西は全羅道・順天まで約三〇ヶ所の倭城があり、その遺跡は現存しています。分布図と一覧は慶長の役を理解するにあたって、知っておくとよい倭城一一城を厳選しました。

倭城を巡る主な戦いは慶長の役年表の通り、加藤清正加藤清正蔚山の戦い島津義弘島津義弘泗川の戦い小西行長小西行長順天の戦いです。秀吉の朝鮮出兵を知るうえで、まずはこの三倭城を覚えましょう。

参考文献

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