YOUは何故色分けを?
朝鮮は、八道(全羅・慶尚・忠清・江原・京畿・黄海・平安・咸鏡)に区分されています。これら八道の「道」とは行政上の区画の意味で、日本の都道府県に当たります。
朝鮮を制圧するにあたり豊臣秀吉は、対馬島主・宗義智からもらった「朝鮮八道図」を赤国(全羅道)、白国(慶尚道)、青国(京畿道と忠清道)、黄国(江原道と平安道)、黒国(咸鏡道)、緑国(黄海道)と六つに色分けし、その色分けに基づいて諸将の分担地域を決めました。
秀吉は世間で考えるほど無筆者ではありませんでしたが、八道を覚える気がないから色分けしたであろう発想自体不安を覚えます。また、八つではなく六つに色分けって意味がわかりません。然しながら、赤国(あかくに)=全羅道だけは覚えておいておくといいでしょう。
全羅道は穀倉地帯ですが、義兵活動が盛ん且つ全羅左水使・李舜臣が防衛を固めている為、最も制圧が困難な地域でした。ゆえに日本軍にとって「赤国」は何が何でも制圧したい「象徴」になりました。
諸大名担当地域
秀吉は朝鮮全域を色分けすると共に、諸大名に以下の通り分担地域を定めました。
文禄・慶長の役について本格的に学びたい場合は、八道の位置を把握すると共に、秀吉を反面教師として八道の名前を韓国の発音で言えるようになりましょう。その際、各大名の担当地域と一緒に覚えると(彼らの名前には親しみがあると思いますので)覚えやすいかもしれません。
然しながら全羅道担当の小早川隆景は、文禄元年(1592)七月、錦山(クムサン)において権慄with義兵将郭再祐&金誠一連合軍の迎撃を受けて、全羅道に侵入できていないのでご注意ください。
参考文献
- 笠谷和比古・黒田慶一『秀吉の野望と誤算-文禄・慶長の役と関ケ原合戦』(文英堂、2000年)
- 北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略』(吉川弘文館、1995年)
- 上垣外憲一『文禄・慶長の役-空虚なる御陣』(講談社、2002年)
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