基本データ
概要
陣容
日本水軍50余隻
- 大将:藤堂高虎
- 部隊:高虎率いる日本水軍
朝鮮連合水軍74隻
- 大将:全羅左水使 李舜臣
- 全羅左水営:蛇渡僉使 金浣(キム・ワン)、防踏僉使 李純信(イ・スンシン)、鹿島万戸 鄭運(チョン・ウン)、順天府使 権俊(クォン・シュン)ら。
- 慶尚右水営:慶尚右水使 元均ら。
- 全羅右水営:全羅右水使 李億祺(イ・オクギ)ら。
結果
日本水軍26隻喪失、朝鮮連合水軍1隻喪失。
解説
最初の海戦
文禄元年(1592)四月一三日、第一軍・小西行長、第二軍・加藤清正ら日本軍は、釜山から破竹の勢いで北上、朝鮮陸軍を連戦撃破し、僅か半月で首都ソウル・漢城(ハンソン)を制圧しました。
もはや朝鮮もこれまでか――
ソウル陥落後四日後にあたる五月七日。 朝鮮水軍司令官である全羅左水使・李舜臣が、七四隻の兵船を率いて朝鮮の海に現れました。
そして巨済島(コジェド)の玉浦(オクポ)に停泊していた日本水軍・藤堂高虎率いる五〇余隻に大砲を浴びせました。
この奇襲に対し、藤堂高虎は二六隻もの船を喪失。しかし朝鮮水軍は一隻失ったのみ。朝鮮軍が日本軍に初めて勝利し、日本軍が朝鮮軍に初めて敗北した瞬間でした。