戦国サプリメント

戦国未満

  1. HOME
  2. 資料集
  3. 文禄・慶長の役

文禄・慶長の役

閑山島(ハンザンド/かんざんとう)海戦

文禄の役の流れ

文禄元年(1592) 文禄二年(1593)
日本軍北上 形勢逆転 日本軍南下 帰国
5月初旬 同左 7月初旬 10月初旬 1月初旬 同下旬 2月中旬 6月下旬 8月
ソウル陥落 玉浦海戦 閑山島海戦 第一次晋州城の戦い 平壌の戦い 碧蹄館の戦い 幸州山城の戦い 第二次晋州城の戦い 一時停戦へ

基本データ

閑山島海戦
年月日 文禄元年(1592)7月8日 
場所 慶尚道 閑山島(ハンザンド)
概要 日本水軍の救世主として挑む脇坂安治の大暴走
対戦軍 兵船 日本水軍70余隻(うち大型層桜船7隻) 朝鮮連合水軍60余隻(うち亀甲船11隻)
大将 脇坂安治脇坂安治 全羅左水使 李舜臣李舜臣
部隊 安治率いる日本水軍 全羅左水営 蛇渡僉使 金浣(キム・ワン)、防踏僉使 李純信(イ・スンシン)、鹿島万戸 鄭運(チョン・ウン)、順天府使 権俊(クォン・シュン)ら
慶尚右水営 慶尚右水使 元均
全羅右水営 全羅右水使 李億祺(イ・オクギ)ら
勝敗 敗(59隻喪失) 勝(4隻喪失)

概要

1.亀甲船の建造

亀甲船
図1:亀甲船

日本軍朝鮮へ侵攻する一年ほど前に、李舜臣李舜臣柳成龍の推挙により朝鮮水軍司令官・全羅左水使に就任。

就任すると、日本軍を海上で撃滅すべく、亀甲船の建造に着手しました。

亀甲船とは李舜臣が考案したとされる朝鮮水軍の砲艦です。前方に龍頭をつけ、その口から大砲を放ち、 船全体を無数の鉄の針を取り付けた屋根で覆い、敵が飛び乗れないようにしました。

また、兵員を編成、訓練を行い、海流や潮の干満、日本のことなどを調べ上げました。

2.脇坂安治、現る

文禄元年(1592)五月七日、李舜臣率いる朝鮮水軍は、朝鮮の海に侵攻してきた藤堂高虎藤堂高虎率いる日本水軍を巨済島・玉浦で撃破。

二十二日後の泗川(サチョン)海戦では、完成した亀甲船が登場。亀甲船の活躍もあって、朝鮮水軍は日本水軍に再び大打撃を与えることに成功しました。

見かねた豊臣秀吉豊臣秀吉は、四国州の第五軍に配属した村上水軍の雄 来島通総来島通総を水軍に投入するも、栗浦でこれまた朝鮮水軍に撃破されてしました。

しかしこれで諦める秀吉ではありません。今度は織田信長の水軍将として無敵の毛利水軍を破った実績のある九鬼嘉隆九鬼嘉隆と、水軍の国の脇坂安治脇坂安治(淡路洲本)と加藤嘉明加藤嘉明(伊予松崎)を水軍に投入することにしました。

3.閑山島・安骨浦海戦

閑山島海戦
図2:閑山島海戦

朝鮮水軍が手ごわいことを認識した秀吉は、安治・嘉隆・嘉明の三水軍将に防戦を命令。

然しながら功名を焦った安治は抜け駆けして手勢のみで同年七月八日、巨済島(コジェド)に出撃してしまいました。

これに対して李舜臣は、見乃梁(キョンネリヤン)という細長い川のような狭い地形におとり船で日本水軍を誘(おび)き出す作戦に出ました。

これに引っかかった脇坂安治率いる日本水軍七〇余隻が、見乃梁を通り閑山島沖の広い海に出た時、待ち構えていた朝鮮水軍が新たに完成させた亀甲船十一隻を加えた六十余隻で猛攻。

日本軍は五十九隻の兵船を失い、脇坂安治は九死に一生を得ました。朝鮮側の損害は僅か四隻で、朝鮮水軍の完勝でした。

脇坂の救援に九鬼嘉隆九鬼嘉隆加藤嘉明加藤嘉明が船を率いて駆けつけましたが、劣勢を知ると安骨浦(アンゴルポ)に引き揚げます。 しかし朝鮮水軍は安骨浦の九鬼・加藤らを襲撃、これも撃破しました。

  

関連トピック

文禄・慶長の役

文禄の役 主な戦い

玉浦海戦/閑山島海戦/第一次晋州城の戦い平壌の戦い碧蹄館の戦い

幸州山城の戦い第二次晋州城の戦い

相関図

朝鮮・明連合軍文禄の役 日本軍慶長の役 日本軍

概要

文禄・慶長の役とは

地図

東アジア各国関係図朝鮮八道色分け地図文禄の役 日本軍進路

慶長の役 日本軍進路図倭城とは 分布図と一覧合戦地図

年表

文禄の役 略年表慶長の役 略年表

朝鮮国

朝鮮の官制その1 京官その2 外官-陸軍・水軍、地方行政朝鮮王朝の党争

明国

明の官位相当表

日本国

文禄年間 全国の諸大名配置図九州中国・四国近畿東海・北陸東日本

慶長前期 全国の諸大名配置図村上水軍とは 前編後編

戦後

日朝国交回復年表

朝鮮国 人物

王室:宣祖光海君/朝廷:柳成龍金誠一/陸軍:権慄金時敏沙也可

水軍:李舜臣李舜臣元均/義兵将:郭再祐/学者:姜沆

明国 人物

万暦帝沈惟敬李如松楊鎬劉綖陳璘

参考文献

笠谷 和比古, 黒田 慶一 『秀吉の野望と誤算―文禄・慶長の役と関ケ原合戦 』(文英堂、2000年)

北島万次『豊臣秀吉の朝鮮侵略 (日本歴史叢書) 』(吉川弘文館、1995年)