解説
画像左から
大谷吉継の軍旗は確実性が担保されていない。また小西行長の軍旗は不明な点も多い。
関ヶ原 西軍その1
当頁は、関ヶ原の戦い西軍武将の軍旗その1です。石田三成隊は関ヶ原の戦いを、西軍が絶望的な戦況になっても最後の最後まで戦い抜きました。特に三成家臣の島左近と蒲生郷舎(さといえ)の戦いぶりは凄まじく、東軍の黒田長政隊や細川忠興隊を苦しめました。
大谷吉継はハンセン病を患っていた為、輿(こし) に乗って参戦。西軍 小早川秀秋の裏切りにより小早川の大軍が一気に攻め込んできましたが、一度は追い返してしまうという勇猛な戦いをしました。
小西行長は田中吉政隊と戦っていましたが、大谷隊と宇喜多秀家が倒れると敗走。関ヶ原ではありませんが、行長は文禄の役 日本軍の先鋒将ですので、当時の朝鮮の人々にも広く知られた旗です。また『不滅の李舜臣』でも行長の旗が描かれているので、現在の韓国の人も知っている人は知っているかも。
宇喜多秀家は西軍の主力として福島正則隊と激しく戦い、福島隊を苦しめました。しかし宇喜多隊の隣りで戦っていた大谷隊が敗れると、宇喜多隊も崩壊しました。
参考文献
- 大野信長(図像考証・作図)『図説・戦国武将118-決定版』(学習研究社、2001年)
- 奈良本辰也 監修『戦国武将ものしり事典』(主婦と生活社、2000年)「関ヶ原の戦い」150-159頁
ご利用について
関連記事
軍旗
石田・大谷・宇喜多・小西/小早川・島津・長宗我部・毛利