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桃形兜
解説
桃山時代(一六世紀)、彦根藩 甲冑史料研究所蔵「金箔押桃形兜」(きんぱくおし-ももなり-かぶと)[文献1]を参考に描きました。井伊氏家臣が所用していた兜。赤備え初期のものと伝えれています。
概要
桃形兜(ももなり-かぶと)は、桃の形に似た変わり兜の一種。多くは四枚の鉄いたで構成。武器の直撃に対して緩衝効果があり、軽くて活動的、量産可能などから下級武士の備具足の兜に多く用いられました。
立花家中、藤堂家中は桃形兜を使用した事で良く知られ遺品も多いです。中でも黒田長政の大水牛の桃形兜が有名。
構成
当素材・桃形兜の構成は図の通り、以下解説。
- 天衝(てんつき):半月(はんげつ)の両端を長く延長させた大型の前立を言う。井伊家は、藩祖直政が金箔押大天衝の脇立、陪臣は銀箔割天衝の前立を用いる。藩主以下、赤具足で統一。
- 鉢(はち):頭上を護る。
- しころ:鉢の左右から後方に垂れて、頸(くび)や側面を護る。
- 吹返(ふきかえし):しころ両端の外側に反り返った部分。
- 眉庇(まびさし):鉢のひさし。
桃形由来、意味
平安時代中期(十世紀)に定まった兜の形式は、星兜・筋兜として江戸時代まで続きました。その一方で、室町時代末(一六世紀中頃)に筋兜の変形バージョンとして、桃形兜などが生まれました。
それにしても兜が何故、桃形で「なければならかった」のでしょうか。
西王母の桃
中国で桃は生命力を与え、また邪気を払う力があるとされます。種々伝承があり、中でも特に有名なのが「西王母(せいおうぼ)の桃」。
古代中国の仙人・西王母の居所は西で、その園には三千年に一度、実を結ぶ桃があり、これを食すれば疲れを去り、長寿が得られるといいます。漢の武帝は七月七日に、西王母からこの桃を贈られたと言います。
桃太郎
すなわち桃の方角は西、季節は旧7月(立秋)、五行説において金気にあたります。金気は木火土金水の五気の中でももっとも強く堅固。金果・桃から生まれた桃太郎は、当然強いわけです。
ひるがえって当素材「金箔押」桃形兜も、この原理によるものと考えられます[註]。
補註
私の知る限り専門書において、兜の視覚的な見所の説明はあっても桃形の由来の説明がなされいない。当時の人は、決して現代人のように五行説に無関心ではなかったので注意されたい。
参考文献
- 「26 金箔押桃形兜」『合戦と武具』(石川県立歴史博物館 編集・発行、1998年)74頁
- 笹間良彦(監修)棟方武城(執筆)『すぐわかる 日本の甲冑・武具』(東京美術、2012年)
- 伊澤昭二(監修・文)『図説・戦国甲冑集Ⅱ-決定版(歴史群像シリーズ)』(学研プラス、2005年)
- 吉野裕子『陰陽五行と日本の民俗』(人文書院、1983年)