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戦国人物解説

井伊直政(いい-なおまさ)赤備えが真っ赤な嘘をつく分には井伊んです

目次

プロフィール彦根城詳細:1.パワハラ上司 2.関ヶ原の戦い

エピソード相関図参考文献関連記事

プロフィール

井伊直政
Nomasa Ii

遠江国(静岡県)出身。幼名は万千代。近江国(滋賀県)佐和山城主。

徳川家康家臣団における、パワハラ上司。

もとい、新参メンバーにして徳川四天王の一。

関ヶ原の戦いでは東軍として、豊臣恩顧の福島正則と先陣を争い、徳川が先陣を切ることに成功したけれど――

享年42(1561-1602)。

同い年は福島正則、藤原惺窩来島通総本多忠勝榊原康政より13歳年下。

彦根城

2003年撮影
彦根城天守閣その1 彦根城天守閣その2 彦根城の門
天守。悪天候…(笑) 見る角度によって表情が変わる。 城門の数々も遺る。

詳細

1.パワハラ上司

井伊直政井伊直政は近江国(滋賀県)佐和山城主でしたが、直政の子が彦根城へ移転。彦根市に行くと、駅前のお花畑に馬上の井伊直政像が立っていて、少女漫画風にカッコいい感じ?でした。

井伊家は代々今川氏の臣下でしたが、直政一五歳の時に徳川家康徳川家康鷹狩に向かう路上で拝謁。以降、小姓から育てあげられました。かくして徳川四天王の一に数えられ、一番年若いく、しかも石高が一番高い武将になりました。

本多忠勝本多忠勝とは対照的に数々の合戦でけがを負いましたが、けがのたびに近くにいた者に自分の兜をかぶらせ「自分の影武者となって敵を終え」と命じたそうです。

また、部下に対して厳しく、僅かな落ち度で手討ちにされることもあったため「家族とは毎朝別れの水盃(みずさかずき)を交わしている」者もありました。

直政は家康より旧武田家臣を預かった際に武具や旗は赤で統一して、以降「井伊の赤備え」と言われ、また小牧・長久手の戦い以降は徳川軍先鋒として活躍しました。

2.関ヶ原の戦い

井伊直政布陣跡
関ヶ原 井伊直政布陣跡
2003年撮影

関ヶ原の戦いおいて先陣は、福島正則福島正則隊と決まっていました。しかし徳川が先陣をきらないと格好がつかないと、豊臣家恩顧の福島正則をだまして井伊隊が先陣をきることに成功。井伊の赤備えが真っ赤な嘘をついたのでした。

戦後、西軍に与(くみ)した土佐国の長宗我部盛親は領土を没収されましたが、直政の取り成しで命だけは助けられました。

また関ヶ原の戦いでは、敗走する島津義弘島津義弘隊を追撃中に右腕を被弾。その傷が尾を引いて、関ヶ原の戦いの一年半後にこの世を去りました。やっぱりけがが多い?享年四二。

エピソード

井伊直政が家康の小姓をやっていた時、大久保忠世の陣中にて味噌味の芋汁が出ました。どの若武者も文句を言わずに食べているのに、直政だけ口にしません。忠世が心配して声をかけると「お醤油ちょうだい」と言いました。

「その日食べるモノにも苦労する兵が多い中、そんな贅沢を言っているようでは、誰も直政についてこないですよ。」と忠世に注意されて改心する直政。

然しながらグルメ・孔子曰く「その醤を得ざれば食らわず」(論語郷党08)。

井伊直政 相関図

主君

徳川家康徳川家康

同僚

本多忠勝本多忠勝榊原康政榊原康政井伊直政井伊直政酒井忠次酒井忠次

本多正信大久保彦左衛門

  

参考文献

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井伊直政

素材:肖像橘家紋軍旗イラスト