戦国サプリメント

戦国未満

  1. HOME
  2. 人名一覧

戦国人物解説

大久保彦左衛門(おおくぼ-ひこざえもん)一族の盛衰と古武士作家

目次

プロフィール詳細:1.祖父と父 2.長兄・忠世

3.彦左衛門の武勇伝、4.甥・忠隣の改易

相関図補註関連記事

プロフィール

大久保彦左衛門
Hikozaemon okubo

『三河物語』著者。彦左衛門は通称で、名は忠教(ただたか)。

家康の家臣として、二八歳上の兄・忠世(ただよ)とともに数々の合戦に参加、戦功を立てる。

待遇面ではパッとしなかったが、家康・秀忠家光の三代に仕え、時勢に流されず古武士の意地を貫いて、天下の御意見番として後世まで人気を博す。

しかしその過程で、忠世の子・忠隣が改易の憂き目にあっていた――

享年80(1560-1639)

同い年は石田三成直江兼続後藤又兵衛

詳細

1.祖父と父

彦左衛門の祖父・宇津忠茂(うつ-ただしげ)は、三河(愛知県)安祥(あんじょ)城主・松平清康(家康の祖父)に仕えていました。忠茂の長男・忠俊のとき、大久保に改称したそうです。

忠茂の三男・忠員(ただかず)は、彦左衛門の父。忠員は、松平宏忠・徳川家康家康父子の家臣。清康の死によって岡崎城を追われた宏忠を、兄・忠俊らとともに帰還実現のため尽力。また永禄六年(1563)の三河(愛知県)一向一揆では一族とともに上和田砦(とりで)を守り、家康を支えました。

2.長兄・忠世

遡って彦左衛門は、永禄三年(1560)忠員の八男として三河に生まれました。

忠員の長男・忠世(ただよ)は、三河の一向一揆、三方ヶ原(VS武田信玄武田信玄)、長篠の戦い(VS武田勝頼勝頼)などで戦功を立てましたした。彦左衛門もまた二八歳上の長兄・忠世に従い、多くの合戦に参戦。天正一八年(1590)家康関東入国後、小田原城主となった忠世は文禄三年(1594)に六三歳で死去。

その遺領を継いだのは、忠世の長男・忠隣(ただちか)四二歳。彦左衛門三五歳は、七歳上の甥・忠隣に小田原で扶養されていました。のち彦左衛門五五歳は、家康に仕えて三河額田郡で一〇〇〇の地を新たに与えられ、鑓(やり)奉行となりました。

3.彦左衛門の武勇伝

関ヶ原の戦いのあと、二三歳上の次兄・忠佐(ただすけ)は駿河(静岡県)沼津城主、二万石。石高はひくいものの要衝の地として、家康からも重視されていました。

しかし忠佐は嫡子が早世したため、彦左衛門に養子になるように依頼。彦左衛門一〇〇〇石は、この申し出を拒絶。手柄をたてて大名になるならまだしも、兄の譲りをうけて大名になるのは本意ではありませんでした。慶長一八年(1613)忠佐七七歳が死去、沼津藩大久保氏は断絶しました。

元和元年(1615)大坂の夏の陣の際、彦左衛門は家康の旗が崩れたことを、のちに論功の席で家康に逆らって強情に否定し、主家の恥を認めなかったいいます。

寛永九年(1632)、彦左衛門七三歳は旗奉行となり、翌年一〇〇〇石加増され、同一二年、三河の三〇〇石の地を常陸鹿島郡に替えられました。享年八〇

4.甥・忠隣の改易

大久保一族は家康覇業の功臣であり、長兄・忠世、その嫡子・忠隣は重用されていました。

忠隣は、二代将軍・徳川秀忠秀忠の擁立に尽力して老中に就任。しかし側近の本多正信との確執によってか、慶長一九年(1614)改易されて近江国(滋賀県)に蟄居させられました。

時勢に対する彦左衛門の不満の一因は、ここにあったとされます。彦左衛門は、家康・秀忠・徳川家光家光の三代に仕えた戦場の生き残りとしての自負と誇りにかけて、古武士の意地を通す処世の態度を取ったようです。

彦左衛門の著作『三河物語』上中下三巻には徳川家代々の事績や、大久保一族の活躍はもとより時勢批判を伺い知ることができます。各巻の終わりには門外不出と追記されていました。

大久保彦左衛門 相関図

大久保氏

  • 祖父:宇津忠茂
  • 父:大久保忠員(ただかず)。忠茂三男。

兄たち

  • 長兄:忠世(ただよ)。小田原城主、四万五〇〇〇石。
  • 次兄:忠佐(ただすけ)。駿河沼津城主も無嗣断絶。
  • 六番目の兄:忠為(ただため)。子孫は下野(栃木県)烏山藩(譜代)、二万石。
  • -(当人):彦左衛門(忠教:ただちか)。忠員八男。

小田原藩(譜代)

  • 忠隣(ただちか)。忠世長男、彦左衛門の甥。小田原城主→改易。
  1. 忠朝(ただとも):忠隣の孫。家光に近侍し、老中。小田原城主に返り咲き、一〇万三〇〇〇石。幕末に至る。

幕府代官頭

  • 長安(ながやす):元武田家臣。忠隣の与力となって大久保に改姓。

徳川氏

著者のある人物

補註

  1. 小和田哲男「大久保氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)169-171頁
  2. 永原慶二編『日本歴史大事典1』(小学館、2000年)参照
  3. 伊東多三郎「大久保彦左衛門」『国史大辞典2』(吉川弘文館、1980年)548頁

関連記事

徳川家康家臣団、外様大名