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江戸城大奥とは 朝鮮王朝女官の違い

目次

大奥と内命婦 比較

大奥とは:1.場所を指す 2.身分 3.影響力 4.人員 5.

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比較

事項:大奥/内命婦(ネミョンブ)

  • 意味:江戸城本丸の場所(正室、側室、女中の住居)/朝鮮王朝女官の総称
  • 概略:花嫁修業ができる大江戸カルチャーセンター/王朝文化を支える職能集団
  • 人員:一〇〇〇人/初期一〇〇〇人~後期二〇〇人くらいカ
  • 役割:将軍付または御台所付/宮中公務
  • 男女関係:男子禁制/-
  • 側室:-/内官として品階ごと定め有り
  • 最高位:上臈(じょうろう)/正一品・嬪(ピン,빈)
  • 実権:御年寄(おとしより)/尚宮(サングン,상궁)
  • 職階:上臈御年寄~御半下(おはんした) 二一~二四階級/正一品~従九品 内官・宮官
  • 職場:大奥/至密(チミル)など七部署
  • 髪型:大垂髪(おすべらかし:背丈以上の長いポニテ)/チョプチを付けて身分を表す
  • 暇(いとま):下級者は可/きほんなし

大奥とは

朝鮮王朝の女官・内命婦(ネミョンブ,내명부)の理解のために、当頁では我等が日本の大奥について見ていきましょう。

1.場所を指す

大奥(おおおく)とは、江戸城内で将軍の正室・御台所(みだいどころ)や側室、女中たちが住んでいた所を言います。すなわち内命婦が女官の総称であるのに対し、大奥は場所ないし空間を指します。

江戸時代大名旗本など大身の武家の邸宅では表と奥を区別し、その家の主人と妻子を中心とした家族生活は「奥」で営まれていました。

江戸城本丸では政治執行の場の「表」、将軍居室の「中奥」、「大奥」は中奥と廊下を隔てて将軍以外の男子禁制の場とされていました。大奥で働く女中は奥女中(おくじょちゅう)と言い、将軍付と御台所付があり、役職名人員はほぼ同じでした。

2.身分

奥女中最高位の上臈(じょうろう)は、御台所の側近で、礼典や作法のことを司ります。京都の公家出身が多く、権力はありません。人員は三人ほど。

御年寄

絶大な権力を握り、大奥を引っかきまわすのが御年寄(おとしより)。七人ほどいて、御台所の側でなく、詰所で大奥内の万事に指図しました。「老女」とも言いますが、三〇代の女ざかり。資料によれば、煙草盆を前にして、御用の他には少しも身を動かすことはなかったと言います。

寛政の改革のとき老中・松平定信は、大奥へ贅沢追放の協力を求めにいったところ、年寄・大崎は「ご同役、それはご無理…」と答えました。これに対し定信は、老中と年寄が「ご同役ではござらぬ」と反論。大崎曰く「老中も年寄も等しく上様に仕える身」なのでした。

世の語り草となった絵島(えじま)もこのような典型的な年寄タイプ。滝山は幕末四代の将軍にわたって権力を維持した、最後の年寄でした。

これ以下

御客会釈(おきゃくあしらい)は、御年寄から選ばれた将軍と御家門の接待役。中年寄(ちゅうどしより)は御年寄の代理者。中臈(ちゅうろう)は将軍や御台所の身の回りの世話し、この中から将軍の寵愛を受けると側室となりました。

3.影響力

ともあれ、大奥は一体何をしているのか、単なる穀潰しか――。

御台所、上臈、御年寄などは大したことはしませんが、大奥の存在意義としては将軍の世継ぎを産む、年中行事における儀礼の執行などが挙げられるでしょう。

また彼女らは時に幕政も左右します。よく例に上がるのが、一三代将軍家定時代に繰り広げられた将軍後継争い。

井伊直弼は血統論を唱えて紀州慶福(よしとみ)を推しますが、一橋慶喜を推す雄藩大名は反発。大奥は旧来の方向を守ろうし、直弼を大老におし立て、年寄・滝山は女中を率いて抵抗。かくして慶福が一四代将軍・家茂(いえもち)となると、滝山はとりたてて重用されました。

年寄は、表の老中に匹敵するほどの権力者と言わざるを得ないのでした。

4.人員

大奥の女中は、将軍の家族一人ずつに専属で付いていました。

例えば幕末、一五代慶喜将軍時代には天璋院(てんしょういん:家茂夫人)付きが御年寄をはじめ中臈、御小姓など七三人、和宮(家茂御台所)付きが同じ職名をもつ者で五七人、本寿院(家定生母)付き五三人、実成院(じつじょういん:家茂将軍生母)付きが二六人。

以上二〇九人。肝心の大奥の主(あるじ)・慶喜御台所はずっと一橋家におられて数に入っていません。然しながらこれに御目見以下の女中などを入れると、大奥のスペースから見ても一〇〇〇人ほどいたようです。

5.暇(いとま)

奥女中は一生奉公人でしたが、下級者は暇を取ることもできました。また花嫁修業として奉公する町人・百姓の娘もいました。

これに対して内命婦の女官は特別な事情がない限り、一度入宮したらきほん、出て来られませんでした。

参考文献

  1. 浜垣容二「年寄」、稲垣史生「絵島と大奥女中」『江戸役人役職大事典』(新人物往来社、1995年)58-61、328-333頁
  2. 村井益男「大奥」『国史大辞典2』(吉川弘文館、1980年)526頁
  3. 卜部典子「大奥の職制」『女人たちの江戸城大奥 (別冊歴史読本)』(新人物往来社、1995年)184-188頁
  4. 「奥女中の職制」山本博文 監修『大奥列伝 ヒロインたちの「しきたり」と「おきて」』(世界文化社、2008年)22-23頁
  5. 笹間良彦『復元 江戸生活図鑑』(柏書房 、1995年)
  6. 金英淑(編著)・中村克哉(訳)『韓国服飾文化事典』(東方出版、2008年)
  7. 畑尚子『江戸奥女中物語(講談社現代新書)』(講談社、2001年)
  8. 『日本歴史大辞典』(小学館、2007)

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