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戦国人物解説

榊原康政(さかきばら-やすまさ)達筆すぎる猛将、首に賞金を懸けられる光栄

目次

プロフィール詳細:1.小牧・長久手の戦い 2.関ヶ原の戦い

相関図参考文献関連記事

プロフィール

榊原康政
Yasumasa Sakakibara

徳川家康の家臣で徳川四天王の一人。上野国(群馬県)館林の武将。

織田家を乗っ取ろうとする秀吉をものすごい達筆で非難。秀吉から怒りを買い、康政の首に一〇万石の賞金がかかる。

関ヶ原の戦いでは現地に向かう途中、放っておけばよかった真田昌幸幸村父子に手こずってしまう――!

享年59(1548-1606)。同い年は本多忠勝西笑承兌、北政所。家康より5歳年下。

詳細

1.小牧・長久手の戦い

東海地方_戦国時代地図
図:東海地方_戦国時代地図

祖父の代から松平氏に仕えていた家柄に生まれた榊原康政康政は、幼少の頃から徳川家康家康に仕えました。

織田信長織田信長死後、天下を狙う豊臣秀吉羽柴秀吉が動き出します。これを阻止すべく天正一二年(1584)信長次男の織田信雄信雄・家康連合軍が秀吉と小牧・長久手で戦うことになりました。

そのとき康政が「信長の家臣であった秀吉が、その恩も忘れて信孝様(信長三男)を滅ぼし、今度は信雄様を討って主家を乗っ取ろうとしている。主君家康公、今、大意の為に秀吉を討ち滅ぼしましょう。」といった檄文(げきぶん)を、ものすごい達筆で書きました。

これに怒った秀吉は、康政の首に一〇万石の賞金をかけたので、逆に康政の株が益々上がる結果となりました。

一方、長久手にあって先鋒隊の康政は、秀吉軍最後尾の豊臣秀次秀次軍を攻撃。ふいをつかれた秀次軍は、敵の二倍の兵力を持ちながらあっけなく敗走。この戦いで秀吉軍の池田恒興森長可森長可は戦死しました。

2.関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦いの際に康政は徳川秀忠徳川秀忠に属して、家康と別ルート中山道を進みました。途中に真田昌幸真田昌幸真田幸村幸村親子の上田城がありました。

徳川は以前、真田家との戦いに敗北していたため、秀忠は昔の屈辱を果たそうと思いました。一緒についてきた家康側近の本多正信は断固反対しましたが、康政は秀忠に賛同。

かくして徳川対真田の戦いの火蓋は切られ、結果、少数の真田家に敗北し、現地・関ヶ原戦には間に合いませんでした。

戦後、家康は水戸二五万石を与えようとしましたがこれを固辞。慶長五年(1600)六年間老中に就きましたが「老臣が権を争うは亡国のもと」といって、政治向きのことは本多正信らに任せたと言います。

榊原康政 相関図

徳川家

主君:徳川家康徳川家康

徳川四天王:本多忠勝本多忠勝井伊直政井伊直政酒井忠次酒井忠次

その他 :本多正信大久保彦左衛門

康政を気に入った武将

豊臣秀吉豊臣秀吉 

ライバル

小牧・長久手の戦い:池田恒興/関ヶ原の戦い: 真田昌幸真田昌幸真田幸村幸村

  

参考文献

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榊原康政肖像素材