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戦国武将解説

榊原康政(さかきばら-やすまさ)達筆すぎる猛将、首に賞金を懸けられる光栄

目次

プロフィール

詳細:1.小牧・長久手の戦い 2.関ヶ原の戦い

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プロフィール

榊原康政
Yasumasa Sakakibara

徳川家康の家臣で徳川四天王の一人。上野国(群馬県)館林の武将。

織田家を乗っ取ろうとする秀吉をものすごい達筆で非難。秀吉から怒りを買い、康政の首に一〇万石の賞金がかかる。

関ヶ原の戦いでは現地に向かう途中、真田昌幸幸村父子に手こずり、間に合わなかった。享年59(1548-1606)。

同い年は本多忠勝西笑承兌、北政所。徳川家康より5歳年下。

詳細

1.小牧・長久手の戦い

祖父の代から松平氏に仕えていた家柄に生まれた榊原康政康政は、幼少の頃から徳川家康家康に仕えました。

織田信長死後、天下を狙う豊臣秀吉羽柴秀吉が動き出しました。それを阻止すべく、信長の次男・織田信忠信雄・徳川連合軍が秀吉と小牧・長久手で戦うことになりました。

その時、康政が「信長の家臣であった秀吉が、その恩も忘れて信孝様(信長の三男)を滅ぼし、今度は信雄様を討って主家を乗っ取ろうとしている。主君家康公、今、大意の為に秀吉を討ち滅ぼしましょう。」といった檄文(げきぶん)を書きました。しかもものすごい達筆でした。

これにブチ切れた秀吉は、康政の首に一〇万石の賞金をかけたのでした。しかし逆に康政の株が益々上がる結果となりました。

2.関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦いの時、康政は家康の長男・徳川秀忠秀忠に属して家康と別のルート、中山道を通って関ヶ原に向かうことになりました。途中に真田昌幸真田昌幸真田幸村幸村親子の上田城がありました。徳川家は以前、真田家との戦いに負けてます。

ここは無視して、早く関ヶ原に向かわなければなりません。しかし秀忠は、昔の屈辱を果たそうと思ってしまいました。それをいさめなければならないはずの康政も、真田を倒してから、関ヶ原に向かうのがいいと思いました。

一緒についてきた徳川家のキレ者・本多正信は断固反対しましたが、とうとう徳川対真田のいくさが始まってしまいました。

結果、少数の真田家に敗北、おまけに現地・関ヶ原の戦いには間に合いませんでした。家康に褒めてもらおうと思ったのに逆に怒られてしまいました。

そんな康政は徳川四天王の中でもとりわけ影が薄いのですが、一番親しみやすい存在かもしれません。

榊原康政 相関図

徳川家

主君:徳川家康徳川家康/同僚:本多忠勝本多忠勝井伊直政井伊直政酒井忠次酒井忠次

本多正信大久保彦左衛門

康政を気に入った武将

豊臣秀吉豊臣秀吉 

ライバル

小牧・長久手の戦い:池田恒興/関ヶ原の戦い: 真田昌幸真田昌幸真田幸村真田幸村

  

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