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戦国人物解説

今川義元(いまがわ-よしもと)

プロフィール

今川義元
Yoshimoto Imagawa

東海地方の戦国大名。幼名は芳菊丸(ほうきくまる)。母は女大名と呼ばれる寿桂尼(じゅけいに)。

花倉の乱というお家騒動で結構苦労して今川家の当主となる。

桶狭間の戦いで織田信長にまさかの敗北、戦死する。

戦闘中に死ぬ大名は珍しいが、桶狭間で義元は最後まで勇敢に戦った。

享年42(1519-1560)。 武田信玄より2歳年上。信長より15歳年上。

詳細

関東の覇者北条氏康北条氏康の右腕の北条綱成は元々は今川氏の家臣。それがどうして北条で活躍しているのかといえば花倉の乱という、今川家のお家騒動が原因でした。

今川義元義元の兄が没すると、今川家の相続争いが勃発。幼少時よりお寺に入っていた義元と異母兄とが争い、これを討った義元は還俗して家督を継ぎ、異母兄側だった綱成青年は今川家を追われたのでした。

義元は東海地方に勢力をふるい、甲斐の武田信玄武田信玄と氏康とで三国同盟を結びました。かくして背後の憂いを断ち上洛しようとしましたが、桶狭間の戦いで織田信長織田信長に討たれてしまいました。

この戦いは信長がいかに偉大かの代名詞みたいに言われますが、信長より私は負けてしまった義元の方が気になります。どうした、東海一の弓取り!!と。

それまでの戦いは強かったし、検地、法度の制定などに取り組み、内政にも優れた武将でした。桶狭間で討たれる最後の最期まで勇敢に戦い抜いた姿も評価に値するでしょう。

今川義元相関図

甲相越三国同盟

武田信玄武田信玄北条氏康北条氏康

→義元が織田信長織田信長に討たれて、当同盟も崩壊。

今川家元人質

徳川家康徳川家康

  

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今川義元

素材:肖像赤鳥軍旗

イラスト:芳菊丸義元with寿桂尼 太原雪斎