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戦国武将解説

酒井忠次(さかい-ただつぐ)徳川四天王のかつての損な役回り

目次

プロフィール詳細相関図関連記事

プロフィール

酒井忠次
Tadatsugu Sakai

徳川譜代の筆頭・酒井氏に生まれる。幼名は小平次。

徳川家の家老にして徳川四天王でもあるが、家康との間に埋まらない深い溝がある。

享年70(1527-1596)。

同い年は高坂昌信佐久間信盛。家康より16歳年上。

詳細

酒井忠次酒井忠次は「徳川四天王」の一人に数えられていますが、徳川家康の重臣の中で一番力がありました。何故かというと、元々そういう家柄だったからです。

家康の長男・信康は、織田信長の子女・徳姫の所に婿養子に行きました。しかし、徳姫と信康はソリが合わず、徳姫は信長に「信康は武田家と内通している。」とデタラメを言いました。

それを信じた信長は猛烈に怒りました。その時、間に入ったのが酒井忠次です。信康の命か、徳川家の安泰か。忠次は後者を選び、信康は信長の手にかけられ死罪となってしまいました。

家康は忠次を責めず、いつもと変わらず、ずっと忠次を自分のそばにおいておきました。その後信長が死去し、一〇年以上の歳月が過ぎました。新たに知行割を行った家康は酒井家の知行を他の徳川家の重臣達より格段下にしました。

忠次は既に隠居の身で、家督は既に息子に譲っていました。忠次は知行が少ないと泣きついてきた息子を不憫に思いました。忠次は家康に問い詰めました。徳川家に一生懸命仕えてきたのに余りの仕打ちだと。

家康は言いました。「そなたも自分の子がかわいいか。」と。忠次ははっとしました。家康は自分の長男・信康のことをずっと思っていたのです。家康は最後の最後で忠次をばっさり切ったのでした。

恐ろしい仕返しです。忠次も信康のことは徳川家のためを思った苦渋の決断だったはずなのに…。しかし家康の深い悲しみと共に歩まなければならなかった運命の酒井忠次なのでした。

酒井忠次 相関図

主君:徳川家康徳川家康 

同じ徳川四天王: 本多忠勝本多忠勝榊原康政榊原康政井伊直政井伊直政

その他同僚:石川数正大久保彦左衛門

  

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酒井忠次肖像素材