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戦国武将解説

陶晴賢(すえ-はるたか)

プロフィール

陶晴賢
Harutaka Sue

山口県の武将。

大内義隆の側近だったが、義隆という人物に危機感を覚えに謀反を起こす。

九州の大友氏の義長(よしなが)を招いて大内家の家督にし、毛利元就と厳島で戦う。

享年35。毛利元就より24歳年下。同い年は武田信玄

詳細

大内義隆(おおうちよしたか)の支配する山口県はその頃小京都と呼ばれ、山陰地方の征服を目指す毛利元就毛利元就にとって大内氏は大きな壁でした。

大内氏の重臣である陶氏は古い家柄で、大内氏の屋敷から陶氏の当主が帰る時は大内の当主が自ら陶氏当主を見送るというしきたりがあるくらい名門でした。

その陶氏の権力は大内氏を凌ぐ程になっていました。しかし陶晴賢はひたすら大内家のことを考えていました。そして享楽にふけっている大内義隆を常に心配していました。

大内義隆という人は文化人ではあったのですが、いくさは余り好まい為、それに危機感を覚えた晴賢は、とうとう義隆に謀反を起こし、義隆を自害させました。

しかしここでなんと晴賢は、大内氏を乗っ取るのではなく、九州の大友氏の義長(よしなが)を招いて彼に大内氏の家督を継がせるのでした。謀反は自分の私利私欲の為でなく、ひたすら大内家存続の為という晴賢なのでした。

そして毛利元就との決戦、厳島の戦いがやってきました。知も勇も兼ね備えた武将とうたわれていた晴賢でしたが、この戦いでは本領を発揮できず、元就に敗れここに自害しました。そんな不器用なかたちの謀反もあるんだなあと、思うだけに彼の生き方にただ、単純に謀反人というレッテルは酷なような気がします。

陶晴賢の辞世の句

「何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に」

陶晴賢相関図

ライバル:毛利元就毛利元就小早川隆景尼子経久

  

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陶晴賢イラスト