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戦国講座

戦国大名とは 封建制度に原点回帰する元ごろつき

折口信夫『ごろつきの話』

ごろつきが発生したには長い歴史があるが、それは略する。これが追々目立つて来たのは、まづ、鎌倉中期と思ふ。

そして、その末頃になると、このやり方をまねる者も現れて来た。かくて、室町を経て、戦国時代が彼等の最跳梁した時代で、次で織田・豊臣に時代になるのだが、その中には随分破格の出世をしたものもあつた。

今日の大名華族の中には、その身元を洗うて見ると、この頃のごろつきから出世しているものが少なくない。彼等にはさうした機会が幾らもあつたのだ。

この機会をとり逃し、それより遅れたものは、遂に、徳川三百年を失意に送らねばならなかつたのだ。『折口信夫全集 第3巻 古代研究 』(中央公論新社、(1966年)(歴史的仮名遣いの為、ここでは一部現代仮名遣いで表記した。)

折口は戦国大名の起源を「ごろつき」とし、「ごろつき」が最ものさばり、はびこった時代が戦国時代であり、随分破格の出生をしたものがあったとしています。

さて、この「ごろつき」の話が事実だとすると、「ごろつき」の多くが”徳川三百年を失意に送らねばならなかつた”のは、チャンスを逃した「ごろつき」本人に原因があるというより、むしろ「破格の出世をしたもの」の政治政策によるものと言えそうです。そのことについて以下に詳しく述べたいと思います。

意外に保守的な戦国大名

「ごろつき」の破格の出世が困難になる事態は、まず織田信長が、楽市楽座=市場の自由化をうたいながら実は流通を独占したことに見られます。このことは、商業に深く関わる「ごろつき」や悪党に大きな打撃を与えたはずです[註1]。

そして百姓出身の豊臣秀吉豊臣秀吉は、天下統一後、刀狩りを断行し、百姓町人から一切の武器を取り上げ、身分を固定。武士が百姓町人になったり、百姓が商人になったりすることを禁じました。

さて、徳阿弥という連歌を得意とする漂泊民が祖先[註2]とされる徳川家康徳川家康は、信長・秀吉の華々しい活躍の裏で三河松平郷でせっせと鎌倉時代からの古い伝統的主従関係を大切に養いました。

彼が天下を取ると、三河で作り上げた「庄屋仕立て」の政治スタイルを全国規模にまで広げ、江戸幕府を開闢(かいびゃく)しました。そして西田直次郎は江戸時代を「封建制度の完形」[註3]と言い現わしました。

封建制度に原点回帰

何故、「おまえらごろつきも俺達に続け!」とならずに身分を固定しまうのか。何故、天下統一を果たした秀吉と家康は封建制度の回避に向かわなかったのか。

これが時代の限界なんです、と切り捨てるのは簡単ですが、それではあんまりなのでもう少し踏ん張って考察してみましょう。

和辻哲朗は、家康については、家康が努めていたことは、秀吉や信長のように天下を目指していたのではなくして、ただおのが一家の勢力の揺るがない根柢(こんてい)を固めることであった[註4]としています。

和辻の意見は最もな意見です。然しながら戦国大名が何故封建制度に縛られるのか、もっと簡単に、あるいはもっと抽象度上げた回答をするならば、私は彼等が結局、折口の言うところの「ごろつき」だったから、と考えます。

「ごろつき」とは、封建制度の外に生きる世界の人々であり、封建制度という共同体から排除された人々です。つまり封建制度から排除されたがゆえに、彼等は封建制度の回避に向かわずに逆に取り憑かれてしまった、とは言えないでしょうか?

下剋上によって古い伝統を破壊し、安土桃山文化に見られるような新しい文化を創造する力を持ちながら、一方で封建制度下の伝統的主従関係に原点回帰してしまう――この奇妙な矛盾、逆方向のベクトルを持ち合わせていることが、他の時代には見られない彼等の個性であり、特徴なのではないのでしょうか。

  

補註

註1:桜井進『江戸のノイズ―監獄都市の光と闇 (NHKブックス) 』(日本放送出版協会、2000年 )

註2:註3同書

註3:朝尾直弘 (編集) 『世界史のなかの近世 (日本の近世) 』(中央公論社 、1991年 )

註4:和辻 哲郎『日本倫理思想史(三) (岩波文庫) 』(岩波書店、2011年)

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