結果発表
1位_6票
2位_5票
3位_2票
7位_1票
総投票数
23票(2023年2月1票+2022年3月1票+2018年9月1票+3月1票+2018年3月1票+2010年6月19票)
みんなのコメント
明智光秀
- 謀反人といえばこの人!逆に、今までよく堪えてきたなと思いましたね… 歴史のターニングポイントである本能寺の変を起こしたのですが、何故起こしたのかは諸説あるのもロマンですよね!因みに私は様々な原因が複合的に合わさったのではないかと思います。(北海道 男性 TKさん 2023.02)
- 苛められて嫌になって謀反起こしましたって感じが好きです(怨恨説ならだけど)。 (ぴよぴよさん 2010.06)
- 黒幕がいたのか?ノイローゼだったのか?勝算はあったのか?自暴自棄だったのか?タイムマシンがあったら、インタビューしてみたい。 (哉ヱ門さん 2010.06)
- ロマンにあふれた謀反人さん。謀反理由も単独犯行説・秀吉説・朝廷説などなど。天海僧正になったという噂まであり。でも本当に天海僧正になっていたら、家族で一番長生きしたんですね…。それに所領が坂本なんですが、よくあの延暦寺の門前でやってられましたねこの人。最近の研究では「比叡山焼き討ち」は無かった可能性があるらしいですが、それなら余計に、この人はすごくいい人だったんじゃないかと思ってしまいます。そして、延暦寺へのイケニエにした信長のパワハラに涙です。 (タコ入道さん 2010.06)
- 松永久秀は1番好きじゃない。明智光秀は好きです。謀反したけど理由を考えて見ると、何だか同感できそうだった。(近畿 - みこかんさん 2022.03)
松永久秀
- 最近ちょっと義輝さんにハマってることもありベタではありますが久秀くんに1票。最初から最期まで、もはや何をしたいのか解らない程のハチャメチャっぷりは…憎いながらも天晴れであります。苦笑 (mienneさん 2010.06)
- 裏切り者とくればこの人しかいない!裏切るときも派手で死ぬときも派手なので自分は結構好きだったりする…。 (takumiさん 2010.06)
- もうここまで来るといっそ清々しくって好きです。死に様も凄いけど、本人には悔いなんて欠片もなかったんじゃないかとなんとなく思います。 (藤九郎さん 2010.06)
小早川秀秋
- おそらくは自覚なしに歴史を変える決断をした人。大谷吉継好きなので関ヶ原での大谷隊への突撃に涙目ですが、考えてみれば当時秀秋は弱冠18才。十代にして重大な(!)決断を迫られたり、歓迎されざる養子としてたらい回しにされたり、結局20才の若さで早世…短すぎる生涯、苦労していたんだろうなと思うと気の毒になってきました。 (ソレガシさん 2010.06)
前田利家
- 利家は「いいヒト」で通ってますが、権六・成政・一益ファンの私としては、賤ヶ岳の戦いの利家の裏切りを忘れまい。権六様から秀吉に切り替えるという、金吾級の裏切りをどうもありがとう。利家が、犬と呼ばれていただけあって、飼い犬に手をかまれるとは、まさにこのことだな。フフフ (よろしさん 2010.06)
- よろしさんに全く同感!私めもそうコメントしようと思っておりました!(笑) (びびんばさん 2010.06)
陶晴賢
- 最後にモトナリモーリに負けてしまったせいで完全に逆臣扱いされてしまっている陶さん。・・・でもねぇ、あの謀反は大内家の為を思ってのことでもあると思いますよ。事実、謀反する前は鰯の内臓食ってまで(強烈な逸話だ・・・)義隆様に尽くしているわけですし。某小説では冷泉隆豊に呪われてメタボったりしてますけどこれからもガンバッテくださいね、陶さん。あと、正妻の大方様、地味だけどすごい女性や・・・。 (乱世同好会会長さん 2010.06)
- 謀反人ってのはともかく、裏切り者ではないと思います、大内家に対しては。でも結果論として、大内義隆という人のことは裏切っているのですよね。皮肉です。この人も、この家も、時代に追いつけなかったっていうことなんだろうなー (未来さん 2010.06)
徳川家康
- はい、戦国ラスト下剋上、徳川のおっさんです。唐入り決行→ 秀次事件→ 太閤逝去→ 幼君秀頼→ワシ大老筆頭。大雑把ですが、天下統一後でもこの流れは「ツッコミ待ち」ならぬ「乗っ取り待ち」のようなものです。特に「 幼 君 」。ちなみに徳さんの不人気は、上記の流れの左二つが(ry。とにかく、主家の隙まで残さず拾う家康公が好きだ! (じゅごいのげさん 2010.06)
真田昌幸
- ある意味天才大裏切り者だ! (関東・甲信越 - 真田かっけえ!さん 2018.09)
宇喜多直家
- 浦上ちゃん倒してのし上がったったから(東海 - クアラルンプールさん 2018.03)
穴山信君(梅雪)
- なんというか、武田を滅ぼした人の一人だけど、あの2か月後に死んじゃったのが可哀そうで泣ける。 (匿名希望 2010.06)
小山田信茂
- 武田家を滅亡に追いやった人。甲府を引き払った勝頼が、郡内にあった、岩殿城に逃げ込めば、まだ、生きながらえる目もあったと思えます。(近年、岩殿城は武田家直轄の城という説が出てきています)しかし、郡内への道を塞ぎ、行き場を失った武田勝頼は、結局自害。小山田家の事情も判らなくはないけど…「主家を滅ぼす」裏切り者の王道を行っております(苦笑) (リューザキ弾正さん 2010.06)