足利氏略系図
※転載禁止/禁止私自转载、加工/Reproduction is prohibited.
はじめに
戦国時代の名門家である細川氏・上杉氏・今川氏などは、室町幕府将軍・足利氏の流れをくんでいます。系図を見ながら下記、庶流や別家の祖などについて見てみましょう。
足利氏
- 源義国(みなもとの-よしくに):平安時代後期の武将。清和源氏。源義家の三男。長男義重は新田氏、次男義康は足利氏の祖となる。
嫡流:歴代将軍
- 初代 足利義康~七代 貞氏
- 室町幕府将軍:初代 尊氏~一一五代 義昭
中央:室町幕府要職
三管領
- 畠山義純(はたけやま-よしずみ):嫡流二代・足利義兼の長男。畠山重忠が北条時政(政子の父)に討たれると、重忠の妻(時政の娘、政子の妹)と再婚。重忠の旧領を与えられ源姓畠山氏の祖。享年三五
- 細川義季(ほそかわ-よしすえ):嫡流初代・足利義康の曾孫。細川氏の祖。子孫に藤孝・忠興。
- 斯波家氏(しば-いえうじ):嫡流四代・足利泰氏の長男。陸奥斯波郡(岩手県)の地頭職を継ぎ、斯波を名乗る。朝倉・織田氏は斯波氏の守護代。
四職(しきし):山名・赤松・京極・一色氏
- 一色公深(いっしき-こうしん):嫡流四代・足利泰氏の子。三河(愛知県)幡豆(はず)郡吉良(きら)荘の一色を領国とし、一色氏の祖。同荘の今川を領する今川国氏の娘を妻とする。のち、一族をあげて一色の地をはなれ、下総(のち武蔵)幸手(埼玉県)を本拠とした。
地方
鎌倉公方:鎌倉府
- 足利基氏(もとうじ):尊氏の子。尊氏の弟・直義(ただよし)の養子。一〇歳で鎌倉公方(くぼう)となる。関東一〇ヵ国における鎌倉府支配体制の基礎を固めた。享年二八
>>古河公方/戦国時代
- 足利成氏(もとうじ):足利持氏四男。五代鎌倉公方。享徳三年(1454)関東管領・上杉憲忠を殺して幕府の追討をうけ、下総古河(こが:茨城県)に移って古河公方と呼ばれた。
>>>小弓公方
- 足利義明:二代政氏の次男。父や兄高基と不和になり、小弓(おゆみ)公方を名乗り古河公方と対抗。
関東管領:上杉氏
- 上杉清子(きよこ):足利貞氏の妻。尊氏・直義を生んだ縁で、代々関東管領職と武蔵・上野・越後・伊豆などの守護職(しき)を世襲して関東に君臨した。
- 上杉重顕(しげあき):重房の孫。清子の兄。扇谷上杉の祖。
- 上杉憲顕(のりあき):上杉憲房(尊氏・直義の伯父)の子。山内上杉氏の祖。享年六三
堀越公方
- 足利政知(まさとも):八代将軍・義政の弟。古河公方に対抗する鎌倉公方となるため関東に下り、伊豆の堀越(ほりごえ:静岡県)を拠点とする。子の義澄以降、歴代足利将軍を輩出した系統。
その他 別家
- 新田義重(よししげ):源義国の子。新田氏の祖。治承四年源頼朝の挙兵に遅れて参加したため、鎌倉幕府では重用されなかった。享年六八
- 吉良長氏:嫡流三代・足利義氏の長男。父から三河(愛知県)幡豆(はず)郡吉良荘の地頭職(しき)を得て吉良氏を称す。享年八〇。江戸時代、吉良義央(よしなか:上野介(こうずのすけ))は赤穂(あこう)藩主・浅野長矩(ながのり)にきりつけられ、翌年浅野の遺臣に討たれ、吉良本家断絶。
- 今川国氏(くにうじ):嫡流三代・足利義氏の孫。今川氏の祖。享年四〇
- 渋川義顕(しぶかわ-よしあき):嫡流四代・足利泰氏の子。渋川氏の祖。上野(こうずけ)渋川荘(群馬県渋川市)を領す。子孫は室町幕府における九州探題(九州諸将を統制)を世襲。しかし少弐満貞と戦って敗れから衰退した。
参考文献
- 佐藤信・五味文彦・高埜利彦・鳥海靖『詳説日本史研究』(山川出版社、2017年)「足利氏略系図_第五章 武家社会の成長」183頁
- 小和田哲男「足利氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)71-76頁