今川氏:いまがわし
二三〇年に及び駿河守護職を世襲した名門。清和源氏。
「足利が絶えれば吉良(きら)が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」といわれた名門。また将軍足利義教は範忠に、惣領家だけが今川を名乗れる「天下一苗字」の恩賞を与えたため、今川を名乗る家は少ないです。
系図
- 国氏(くにうじ):吉良長氏(三河守護足利義氏の子)の次男。足利氏三代・義氏の孫。今川氏の祖。父から三河(愛知県)幡豆(はず)郡今川荘に居住。その荘名を姓とした。享年四〇
- 基氏(もとうじ)
- 範国(のりくに):国氏の孫。足利尊氏に従い転戦。建武(けんむ)政権以後、遠江(とおとうみ)・駿河(静岡県)の守護となり、東海地方での今川氏隆盛を築く。享年九〇
- 範氏(のりうじ):遠江守護。父範国と守護を入れ替わり、没するまで駿河守護。
- 了俊(りょうしゅん):範国の子。将軍足利義詮(よしあきら)の死により出家。将軍義満から九州探題に任じられ、九州全域を支配下に収めた。和歌を冷泉為秀に学んだ歌人でもある。名は貞世(さだよ)。
- 仲秋(なかあき):範国の子。兄・了俊の養子。兄からおくられた戒めは「今川状」と呼ばれ、江戸時代から明治はじめまで初等教科書として使われる。初名は国泰(くにやす)。
- 義忠(よしただ):七代今川範忠の子。駿河守護。応仁の乱で東軍に属し、細川勝元の命で遠江(静岡県)に侵入。国人領主を討った帰途、その残党に殺された。享年四一
- 氏親:義忠の子。義忠死後、伯父北条早雲の援助を受け家督を継ぐ。遠江(静岡県)の斯波氏から守護職を奪う。分国法『今川仮名目録』制定。戦国大名へ。享年五六
- 氏輝:氏親長男。母は寿桂尼。一四で家督を継ぎ、駿河・遠江の守護。二四で病死。
- 義元:氏親五男。母は寿桂尼。正室は武田信玄の姉(定恵院殿)。三河に進出し、駿河・遠江・三河の三国の守護となるも、織田信長と桶狭間の戦いで戦死。
- 氏真:正室は北条氏康の娘(蔵春院)。義元戦死により家督を相続したが滅亡。
元臣下
参考文献
- 小和田哲男「今川氏」左同(監修)左同・菅原正子・仁藤敦史(編集委員)『日本史諸家系図人名辞典』(講談社、2003年)140-142頁